左胸が酷く重かった。まるでそこに幾億もの悲しみや絶望の片鱗が凝縮されたかのように。 その割に風が透き通っていくような虚空感がそこには存在していた。 自分のものではない質量、後付けの部品を身体が拒絶するかのようにじわじわと意識が違和感と虚無感に蝕まれていく。 キリキリと胸が痛んだ。否、痛む胸など無い。これはただの魔導器の不調。焦燥にも似た不安がそこからじわりと湧き上がって自分を覆いかぶさっていく。 もうこの世にはいない、死んでいった仲間たちの顔と声が脳裏をよぎり合わせてなぜ自分はここに存在しているのかっと、ぐらりと世界が揺れた。目が回るのようなそんな感覚の中、懐から小刀を取り出し鞘から艶めかしい光沢を流す刃を露わにさせて、柄を両手で強く握り空を裂くように勢いよく左胸にめがけて振り下ろした。 何度も何度も振りおろし振り下ろし鈍く光る刃が咆哮をあげる。 紅く淀む魔導器に罅が入ってそこから悲しみや苦しみや憐れみが溢れ出てしまえばいい。そうしてようやく自分はあるべき姿に還るのだ。 けれど、左胸におさまって心臓の代わりをしているそれは未だ傷一つ付かない。頑丈なそれに刃はすべり魔導器の周りの生身が小刃により赤で汚れていく。痛みはある。当然神経は通っている。胸の忌々しい魔導器で生かされているから。 ひと振り刀を突き落とす度にふやけた思考に疑問の声が滲んでゆく (なんで、) (何故死ねない) (どうして) (俺は生きている?) 「なにをしている」 声が聞こえた。 どっぷりと、どこまでも底の見えない暗闇に沈み侵されていた思考がその声に引き上げられる。 わずかに目を見開いて顔を上げれば酷く機嫌の悪そうなアレクセイが座っている己を見下げており彼の目と目が合うか合わないかの刹那、頬に重たい衝撃が走りそんなものを予想していなかった衝撃に構える隙すらなく、勢いのままに吹き飛んだ。 握っていた小刀は手のひらから滑り落ち、埃の舞う床に頬を寄せて体中に突き飛ばされた衝撃が痺れのように広まる。 視界の先で赤く刃を汚し転がった刀を虚無に眺めていると不意に左胸が痛みに声を上げた。 「覚えておけシュヴァーン」 胸を抉るような痛みだと思った。 戦地に赴く手足を頑丈に守るための鎧を身にまとったままの男の足先が無遠慮に魔導器の周りを抉るようにして傷ついた傷を労わりもなく踏みにじっている。 「お前の命は私のものだ。無駄に散らすなど愚の骨頂」 そう言い放つとつま先で傷を抉るように深く強く魔導器には当たらぬように傷口を蹴り飛ばされて、衝撃でぐるりと身体が埃の積もった床の上を転がった。 「道具は道具らしくその命役立ててみせよ」 痛みに悶絶しながらも眼は閉じずに、虚ろに死人である自分が生き続けている世界をぼんやりと眺めながら男の言葉を聞いていた。 「死にたいのなら、私が死なせてやる」 不意に肩まで伸びた髪を乱暴に摘みあげられ上を向かされる。 髪の一本一本が頭皮を引く痛みに顔をしかめることもせず、ただただ彼から与えられる死についての甘い囁きに朗々と聞き惚れてゆく。 「お前は私の道具なのだから」 アレクセイの歪な微笑が近づく。 それから逃げるわけでも乞うわけでもなくただただ無情に見つめ返して目を閉じることなく甘受し、唇が噛み切られるかと思うような荒々しいキスを黙って受け入れてみせた。 |
090307