五年い組の尾浜勘右衛門は私、こと鉢屋三郎のことを鉢屋と呼んでいる。
 これは今までの周りに居る同級生にしてみると異例のようなものであり、私は一瞬その違和感に眉を寄せて不破雷蔵本人ならば見せないようなしかめっ面を浮かべてしまうことになった。
 そのことに私の名を呼んだ勘右衛門も気がついたのだろう。こちらの顔を見るや否や慌てふためいて「あー」だの「その、」だの歯切れの悪い言葉を口から紡ぎだしている。
 どうやら彼自身、私が感じた違和感を感じた事柄に対して思うところがあったのだろう。
 目を合わせず視線を泳がせる勘右衛門の鼻先を引っ掴んで言及すると、驚いたことに慌てふためいた彼の口から飛び出したのは勘右衛門と同じ五年い組の久々知兵助の名前だった。





「――と、言うことがあったんだけど」

 一人自室で忍たまの友を開いていた兵助の背中に此方の背を預けながら、戯れを話すように事の経緯を説明し彼の方へ体重をかけてみる。
 私の重みを受けて少々前のめりになって潰れかけている兵助は文句も言わず沈黙を守って無言だ。

「なぁ、勘右衛門に何を吹き込んだんだ?」
「別に吹き込んでなんかいない」

 兵助は強情に突っぱねる。触れ合っている背中。じわりと相手の熱が上がったようだ。
 ささやかな身体の変化を見逃す私でもなく思わず頬が緩み、首を逸らせ後ろにあった兵助の後頭部(と言うよりは結ってある頭髪)にコツンと私の頭をぶつけて笑みを零す。

「ほぉ…しかし勘右衛門は『兵助のせいだ』と言っていたが」

 言葉と共に更に兵助の方へと体重をかけると、先ほどまで必死に抗うように私の重みに反発していた兵助の身体に相当の負荷がかかったようで、兵助の身体は踏んばることが出来ずに徐々に忍たまの友が拡げられている机の方へと沈んでいく。

「…重たい三郎」
「それは私の体重?それともこの探究心?」

 カラカラと笑い声を転がしながら、兵助に背を預け天井を仰ぎ見ながら謎々のように問いかける。
 兵助が背中越しにぶすっとしたのが分かったが、私は込み上がってくる笑みを押さえることが出来ずに「どっちなんだよ兵助」と彼の答えを促すように催促の言葉を二人しかいない部屋の天井に向かって紡いでみせた。

「……どっちも」
「正直だなぁ兵助は」

 彼の答えに満足したので、笑みを引っ込めて兵助の背中から離れようと腹筋に力を入れた時だ。くるりと兵助が振り返ってきてしまった。
 まだ兵助の方に体重を預けていた私の身体は、突如として支えを無くし刹那の浮遊感の後、背中に一瞬息を詰まらせる程の衝撃を感じた。
 兵助が身体を退かしたことで、背中から床に落っこちてしまったのだとジンジンと痛みを主張する背中を心配しながら考えていると、フッと視野が薄暗くなってしまった。
 見れば兵助の影が私を囲っている。此方を見下ろす彼と直ぐに目が合い、沈黙のままニヤリと笑みを浮かべて「痛いじゃないか」と言ってやるが、彼はそれを聞くそぶりもなく不満そうに唇を尖らせると、僅かに開いた隙間から私に向けた文句を放った。

「そう言う三郎は喰わせ者だよな。本当はとっくに勘右衛門に理由を聞いてきているんだろ」
「ばれたか」

 不貞腐れそうにしている兵助にこれ以上からかっては後が面倒だと悟った私は「よっ」と一言吐きだして上体を起こして、くるりと兵助の方を振り返りニヤリと笑った。

「他の奴が名前を呼んだら妬いてしまうなんて可愛いじゃないか」
「妬いてなんかいない」

 ぶすっと不貞腐れた顔のままぶつぶつと呟く兵助を見るが、若干耳が赤くなっているのは私の気のせいではないだろう。

「しかし『皆に三郎の名前を呼ばれたら面白くない』――だろ?」

 私は雷蔵の変装は解かずに、ただし声音だけは目の前の兵助のものへ変えて勘右衛門から聞いた言葉を一文一句間違えずに、そして兵助ならばこう言うだろうと予想を立てた声の上げ下げで台詞を吐けば、どうやら見事に雰囲気を当てることができたらしい。
 兵助が耳だけではなく顔までも真っ赤にさせて、その顔を隠すようにガバッと蹲ってしまった。

「わぁぁぁ俺の声で言うな!恥ずかしい!」
「顔が赤いぞ兵助!まだまだ修行が足りないな!」

 丸まってしまった兵助をゲラゲラと笑い指をさすと、恨めしそうな兵助の双眸が此方に向けられて、私は「ん?」とからかう様に笑みを深めてやると、彼は一層不機嫌そうに眉を寄せて「俺の気も知らないで」と小さく小さく呟いた。
 本来ならば此方の耳になど到底聞こえるはずのない声量だったが、生憎私は唇の動きを読んでしまい彼の発した言葉の意をくみ取ってしまった。
 しかし、あたかも彼の言葉など聞こえて居ないように「なにか言ったか?」と私は少しきょとんとした様子で聞き返す。演技ならば誰にも負けぬ自信があった。
 兵助はしばし無言で私の方をジッと見つめていたが不意にそっぽを向いて「なんでもない」とだけ一言呟いて、不貞腐れてしまった。