「鉢屋は六年が好きではないだろう」

 彼は突然そう言った。私は思わず立ち止まって顔だけで振り返る。異性の目を引きそうな美麗な顔立ちをしている青年が立っている。立花仙蔵、ひとつ上の学年の先輩だ。

「いきなりなんですか」
「この間の五六年合同演習を思い出してな」

 そう言ってにやりと笑う顔は此方の心の内にひそむドロドロしたものをかき乱すように煽情的であった。
 眉間にしわを寄せながら、言葉にあった合同演習についてを想起する。一秒も足らず脳内を駆け巡った惨状に、強制的に自分の思考を停止させた。

「あれは…酷い目に遭いました」
「災難だったな」

 さらりと労いの意である言葉を吐き出した男を思わず睨みつける。
 忘れるはずもなく、簡単に終わるはずだった忍務を誰と言わず目の前に居る先輩のせいで5年最後のビリに輝いてしまったのはトラウマと言わず何と言うか。
 なので思わずぼそりと「お前のせいだろ」と後輩という立場を忘れてぼやくと、目の前の先輩は意地の悪いことに地獄耳であった。

「何か言ったか鉢屋?」
「イイエナニモ」

 多少の反抗心として、芯のない音で返事をすれば立花仙蔵は酷く愉快そうに軽やかな笑みをこぼした。

「私はお前のそう言うところを好いているぞ」
「アリガトウゴザイマス」

 ちなみに、こんなやり取りをしたのは片手では足りぬほどしている。もしかしたら両手の指でも足りぬから足の指を使わないと数えられないかもしれない。
 何が言いたいかと言うと、私は日ごろからこうして先輩の戯言の相手をさせられているわけだ。
 その度に、どういった返答をしてやれば目の前のすかした先輩の顔をぎょっと変化させてやれるかといろいろと試しているのだが、今のところ全敗中だ。何を言っても立花仙蔵は愉快そうにして、こちらの言葉の上げ足をとりおちょくってくる。
 そして今回も例外なくそう言ったことになりそうだったので、私はあわてて二の句を継ぐことにし先輩に不戦勝を譲ってやることにした。

「で、六年生が好きか嫌いかって話でしたよね。人にもよりますけど――」

 そこまで言って口を閉ざす。言いだしたはいいが、何も考えていなかったのだ。
 そしてふと、先ほど廊下から見えた庭先で委員会活動に励んでいた彼らの姿を思い出した。

「食満留三郎先輩は嫌いと言うより、ライバルですね」
「ライバル?」
「一年生が食満先輩に凄く懐いていますから。羨ましさ有り余って憎さ百倍です」

 そうなのだ。私のお気に入りの一年生が先ほど委員会でわいわいと食満先輩と戯れていたのだ。可愛らしい一年生の笑顔に囲まれた先輩の位置は羨ましいとしか言いようがない。

「それは嫌いだと言うのではないか?」
「いいえ、好敵手として見ているだけです。嫌いではありません。むしろ好く部類に値しますよ、先輩は」
「成程」

 立花先輩はなにか納得するかのように顎に手を置いてふむ、っと頷いている。
 そんな彼を尻目に、なぜか思考に没頭してしまった己は次に頭に浮かんだ言葉を口にしていた。


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090618