「雷蔵が死んだらどうするんだ?」

 と、ハチが尋ねた。私は不愉快そうな顔をして「なにを言い出すんだお前は」と唇を尖らせると、奴は少しだけ慌てたように両手を胸の前で左右に振りながら「たとえばだよ、例えば!」と喚く。
 確か、お前らは本当に仲がいいよなとかそんなたぐいの話をしていて、私が雷蔵の惚気を捲し立てるように喋っていた流れであったはずだ。
 一体何なのだ、と思いながら目の前の竹谷八左ヱ門を見れば思いの他、真剣なまなざしで此方を見ている奴と視線がかち合う。そこでわずかながらも気圧されて、はた、と気づいた。彼の別に巧妙に隠しているわけでもなく、だからといって曝け出しているわけでもない質問の意図に。
 なので、私はそんな彼の優しさに敬意を払い真剣に考えてやることにした。
 静かに瞼を閉じて、いつも隣を歩む彼が真夜中の月のない日、怖いほどの静寂の中で赤く染まり地に伏している様を脳裏に描きだす。その映像を眺めながら静かな声音で“雷蔵が死んでしまった”と脳裏に囁く。すると、私の頭の中にある情景は妙に現実味を帯び、それは本当に目の前で起こったかのような真実味を帯びて私の心を蝕んだ。
 血だらけで、息をせず心臓を止めた冷たい死体、他でもない雷蔵。そう、頭が理解した瞬間私は眼球の奥が熱くなり、そのことに多少ながら己のことなのに驚愕して静かに瞼を持ち上げた。

「泣く」

 簡潔に、そう一言述べるとハチはきょとんとした顔をして目を丸くさせている。

「声が出なくなるまで、涙が無くなるまで、泣いて泣いて泣いて―」

 ハチはまだ驚いた顔のまま瞬きを繰り返していた。
 そんな彼から視線を外し、斜め上を向き空を流れる真っ白い雲を見ながら「それでお終いさ」と言葉にする。
 そうして言葉にすると、とてもしっくりと心に納まった。どこかすっきりとした気分になって、そう言う意味では、怪訝に思った彼からの質問も悪くはなかった。
 そのことを質問をしたハチに言ってやろうと視線を戻すと、先ほどから変わらずポカンとした顔のハチが此方をマジマジと見つめていた。

「なんだその意外そうな顔は。半端にあいた口が間抜け面に拍車をかけているぞ」
「いや、だってお前らのことだから…なんかもっとこう、歪んだことでも言うもんだと」

 そう言ってもごもごと口ごもらせて視線を四方八方に彷徨わせながら気まずそうにこめかみのあたりを指先でひっかく彼の姿に、思わず笑みが浮かびあがる。
 おそらく彼は、私があまりにも雷蔵のことばかりを気にしているから、私から雷蔵が無くなってしまった時の事を心配して、まるで冗談のように先ほどの言葉を投げかけてきたのだろう。下手をすれば私の逆鱗に触れて喧嘩にでもなりかねない内容だったのに、だ。
 しかし、私にはハチの心からの不安や心配している気持ちが感じ取れたので、此方も真剣に返事を返した結果がこれだ。
 私はいつものように口元に笑みを浮かべて、ニヤリと歪め「お前はいったい私たちをどう思っているんだ」とハチを小馬鹿にするように笑い飛ばしてやった。


 * * * *


「三郎が死んだらどうする?」

 ぼくの名前に続けて紡がれた言の葉たち。その意味がわからないできょとんとしながら音を紡いだ相手、久々知兵助に視線を向けてみる。
 彼は普段と変わらず、何を考えているのかわからないような表情のままもう一度「三郎が死んだらどうする?」と問いかけてきた。

「三郎が死んだら…だって?」

 彼の問いかけを吟味するようにぼくはその言葉を己の舌の上に乗せてみる。
 だが、しかし、ぼくにはそれが理解できない。

「何を言っているんだよ兵助」
「雷蔵?」
「三郎が死ぬわけがないじゃないか」

 ぼくはぼくの中にある常識の引き出しからその言葉を取り出してポンっと兵助に差し出した。すると、彼はその言葉の意味を測り切れぬようで怪訝そうに僅かに眉を眉間に寄せて、ぼくに言葉の続きを促すようにまっ黒くて大きな瞳で此方をじぃっと見つめている。

「三郎が死ぬんだったら、ぼくがとっくのとうに殺しているよ」
「……は?」
「ぼくは三郎に顔を取られてしまったから、三郎が死ぬのならぼくは彼を殺してでも顔を奪い返さなくちゃ」

 そう言ってやると、兵助はポカンと口を開けて此方の顔をまじまじと見つめてきた。そんな兵助の顔が可笑しくて思わず軽く笑い声をあげると、ハッと我に返ったかのように瞬きを繰り返して何か言いたそうにするも、半端に開いた口の合間からなにも言葉は出さずそのままだ。なのでぼくは先ほどの言葉の意を強めるために更に口を開く。

「ほら、ぼくは三郎を殺せていない。三郎は死なないから。――それとも、三郎は死ぬの?」

 彼は死ぬのだろうか。飄々とした空気を纏い、いつだって誰かをからかって遊び、それでいてぼくにはまるでピィピィ鳴きながら親鳥について回るしか脳のないようなアヒルの雛のように愛くるしい彼が。
 死ぬのだろうか。
 僕の顔をして、僕の顔で笑って、僕の体を冷たくさせて、僕の声を枯らして、鉢屋三郎は消えてしまうのか。

「――いや、三郎は死なないだろう」

 冷えて静まり変えた心に、兵助の言葉がぽちゃんと落とされて温もりを取り戻す。焦点も定まらずボーっと彷徨わせていた視線が兵助の顔に向けられる。彼はいつものように淡々とした面持ちをして此方を静かに見つめていた。

「そうだよね、よかった。それじゃあ僕は三郎を殺さなくていいんだね」

 嬉しくなってニッコリと笑うと、兵助もこっくりと頷いてくれて、なんだかこんな話をしていたら無性に三郎に会いたくなってきた。


 * * * *


「――こっちは、そんな感じだった」

 ハチと二人で共謀し、双方の考えをふたりには秘密裏に聞きだしてくる予定だったのだが、俺と話をした雷蔵が率先して三郎に話を振り、共謀者であるハチに報告がてら雷蔵の口から聞いたことをそのまま本人たちが居る前でハチに伝える。
 俺達の考えでは、常日頃雷蔵にくっついている三郎が、もしも雷蔵になにかあったら取り返しのつかないことになるかもしれない―と言う虚空から生まれた心配を元に行われた忍務(と勝手に二人で盛り上がって行っていただけ)だったが、此方の心配を他所に、むしろ上回る回答が三郎ではなく雷蔵の口から飛び出され肝っ玉を冷やすこととなった。
 俺以上に驚いた様子のハチと違い、問題発言をされた当本人の三郎は落ち着いていて、普段の他愛のない会話をしているときと何ら変わりない様子であった。

「ら、雷蔵こわ、怖いぞお前っ!」
「なにが?て言うか三郎、君ってば僕が死んだら泣くだけなの?酷くないか、それは」

 ハチの心からの叫びをあっさりと切り捨てて、雷蔵は三郎に向き直るとむっとした様子で三郎をどこか責めるように言った。俺からしてみれば、三郎よりも雷蔵の方が酷いことを言っていると思ったのだが、俺の思い違いだったのだろうか。
 三郎は雷蔵の恨みがましそうな視線を一身に浴びながらも、臆する様子もなく、むしろおどける様にして、然も心外だっと言いたげに肩を竦めてみせた。

「何を言うんだ雷蔵。私が泣くんだぞ?」
「どういうこと?」
「私は親兄弟が死んだ時ですら泣かなかった…と言うよりは、涙なんぞ出てこなかった」

 と、さも今日の昼飯でも語るかのように平然と言葉を紡ぐ三郎に、ハチや俺だけでなく雷蔵も若干驚いた様子を見せた。
 俺は家族を亡くしたことはないから分からぬところはあるだろうが、俺であれば身内との死別に涙を零さないはずはなかった、なんせ今までの人生分の記憶があるのだ。嫌なこともあるがそれよりも心温まるような嬉しいことの方が多い。そんな家族との死別は、きっと恐らく血のつながりの分友人よりも重いものになると思われる。

「そんな私の涙が、雷蔵が死んだ時は出るんだ。雷蔵に二度と会えないと思うだけで、涙が溢れそうさ!」

 しかし、目の前の三郎は違うという。家族の死には涙せずとも、雷蔵の死には涙すると彼は主張した。
 そんな三郎の言葉をしばし吟味するように無言で考え込んでいた様子の雷蔵が、静かにうんっと頷いて「そう言うことなら文句ないや」と、納得したように言いながらニッコリと笑みを浮かべてみせた。

「じゃあさ、三郎は俺たちが死んでも泣かないのか?」

 と、二人の問題が纏まりかかったところに黙りきっていたハチが疑問と言うよりは非難めいた声を零した。彼の言葉に向きあっていた二人が同じタイミングでハチへと顔を向ける。そうしていると双子のようにしか見えないのに、彼らに血のつながりが無いことが不思議に思えた。
 先ほどまで雷蔵が三郎に向けていたような責めるような視線を今度はハチが三郎に向けている。三郎はそれを受け流しながら「そうだな…」と腕を組み、首をかしげて言葉を選ぶようにゆっくりと唇を開いた。

「ハチや兵助が死んだら、お前たちを殺した奴らを死んだ方がましだって思えるほど痛めつけて殺してやるよ」

 どうも自分の発言がいたく気に入ったようで、三郎は「うん、そうしよう!」と何故だか嬉々とした様子ではしゃぎ出す。ちなみにハチは複雑そうな微妙な表情である。

「お前たちが受けた痛みを何十倍、何百倍にして返してやるから安心して逝っておけ」

 そう言って二ッカリと笑った三郎。隣のハチがわなわなと震えているなぁと視界の端でぼんやりと見ていれば、ぶっつんと言う音と共にハチが「この人でなし!!友達のために涙ぐらい流せ!むしろ親兄弟の墓前に花でも添えてこい!」と説教の態勢に入ってしまった。
 ケラケラと笑う三郎を見ながら、俺は三郎はそっちの方が三郎らしいと思う。と思っていたが、そんなことを言ってしまえば怒りの沸点を超えてしまったハチの逆鱗に触れてしまいそうなので、静かに黙って夕飯の献立に豆腐が無いかと期待を膨らませることにした。












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090626(090719)