※まだ慣れ始める前の仙蔵と鉢屋
井戸の傍らで手を洗っていると、トコトコと先ほどまで己が居た部屋から出てきた後輩が傍に寄ってくる。普段は穴を掘るのに一生懸命でどこかしらに土汚れをつけている顔にいつもの通り無表情を飾って此方を見つめてきた。 「素晴らしいお手前でした」 声音もいつもの通り淡々と抑揚もなくつらつら述べられる。彼の言う素晴らしいお手前と言うのは、先ほど行われた首実検に使われるフィギュアではなく本物の首に施した死化粧のことであろう。 本物の首に死化粧を使えるめったにない機会に、作法委員の上級生だけを集め行った化粧を終えて、役目を終えた私はこうして手を洗いに来ている。そんな自分に、同じく化粧の過程をじぃっと観察していた後輩が賛辞の言葉を送ってきた。 しかし、私にはその言葉を素直に受け取ることができず白々しい態度の後輩をフンっと鼻で笑い飛ばしてやった。 「身代わるつもりなら最後までやり通せ。本物の綾部はどうした」 両手を流れる滴を手を閉じて開く動作を繰り返すことでパッパと水気を払いながら其処に居る後輩にそう言ってやると、先ほどまでの静かな表情が嘘のように歪み、いびつな微笑が現れる(おそらく、普段の彼がそのように笑むことをしないので歪んで見えたのだろう)(何にせよ気色が悪い)。 「先輩のお手前は拝見させてもらい私の中で目的は既に終えているのでお言葉にある『最後』までは十分にこなしたかと。綾部は私が代わって委員会に出てやると言うと嬉しそうに穴を掘りに山の方へ」 どこか感情が欠落したような面持ちに、嬉しげな空気を纏い嬉々として山へ向かう綾部の姿が容易に想像がつき思わずため息を吐く。せっかくの貴重な本物の首実検に立ち会えたというのに、作法委員としては喜ばしいことのはずだがあの輩は穴を掘る方を取ったようだ。 「綾部のこと、叱らないであげてくださいよ先輩」 此方の呆れを含んだ苛立ちに気づいたのか、本人の顔を借りたまま笑う後輩に自然と嘲笑が滲み出る。 「元はと言えば貴様のせいだろう鉢屋。全く、何故作法委員に紛れ込んだ?」 「先輩の死化粧が見たくて」 ニコニコと綾部が浮かべそうにもない種類の笑みで鉢屋は言葉を紡ぐ。 漸く、その違和感に慣れて目の前の後輩が別物だと認識して改めて奇天烈な後輩を観察するように窺うと、奴も人を観察する側の人間だけあってか此方の視線に含まれる探りの色でも感じ取ったのだろう、一層笑みを深めて綾部らしくない顔で笑った。 「あそこまで綺麗になるなんて、きっと死人も喜んだことでしょうね」 「…お前もそれを望むか鉢屋三郎?」 「そうですね、立花仙蔵先輩に綺麗に化粧してもらえたら嬉しいです」 意外なことに、目の前の後輩はそう言って頷いてみせた。 この学園で誰も素顔を見たことがないと噂される鉢屋三郎のことだ、死しても地獄までその面を持って行くものかと思っていたがそうではないらしい。 「ねぇ先輩。私が死んだら私の素顔に化粧をしてくれますか?」 そう言って鉢屋は綾部の顔の半分ほどの己の掌で覆い隠しクスクスと笑う。 「私が死化粧を施すのは価値のある首だけ――」 乾いた手先で零れ落ちた髪をひと束掬いあげ耳にかけながら、鉢屋を見る目を細めた。 「貴様にそれ程の価値があるとは到底思えん」 「辛辣ですね」 鉢屋は気を悪くした素振り無く、直も楽しそうに顔を歪ませて笑い声を零していた。思わず顔を顰めて奴を見れば、すぅっと彼の掌が顔面の全てを覆って綾部の顔が鉢屋の掌で隠される。 「ですが、もしもその気になることが万が一でもあれば、是非今度は先輩が私に声をかけてください」 そう言った奴の声は先ほどまで紡がれていた音色とは打って変わり、全くの別物に。そして奴が手をどけた時には既にいつも鉢屋が好んで身に付けている不破雷蔵の顔がそこにあった。 不破雷蔵の顔でニヤリと先ほどまで綾部の顔で浮かべていた微笑を携え、鉢屋は「では失礼します」と頭を下げて間もなくその場から姿を消した。 井戸の傍にひとり残った私には、どこか白昼夢にでもあったかのような気味の悪い後味が残り、ねっとりと胃の辺りに残った不快さに気づけば険しい顔をして 「不気味な奴め」 既にその場には居ない奴に向かい、嫌悪に染まった声音で吐き捨てた。 |
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090624