ばきっと痛そうな音が響いた。 驚いて振り返ると、鉢屋三郎が右頬を押さえ口の端から血を垂らして地面に腰をつけていた。 その目の前には拳を握りしめて呆然と立ち尽くしている久々知兵助の姿。 どこからどう見ても、久々知兵助が鉢屋三郎のことを殴り倒したようにしか見えない。 「ちょ、ちょっとどうしたんだい二人とも!?」 慌てて駆け寄り、とりあえず三郎の傍にしゃがみ込み傷の具合を見てやる。どうやら口の中を切ってしまったらしく、頬は若干腫れていた。 何があったのか、殴った調本にである久々知に問いかけようと顔をあげると、すでに彼は此方に背中を向けて校舎の方へ駆けて行ってしまっていた。 その後姿を茫然と眺めながら困惑に全身を浸す。 僕の中では久々知兵助という人は、い組の中で生徒のみならず先生からも一目置かれ、何かと頼られる優秀な生徒という認識だったのだが。 そもそも、そんない組の優等生と、ろ組のある意味問題児の三郎が仲良く会話を始めたことすら驚きだったのに、先ほどまで談笑していた彼らが何故こんなことになっているのかも、微妙な疎外感を感じ今日のお昼御飯のメニューをどうするか青空を見上げながら悩んでいた僕にはさっぱりわからない。 「あー痛い痛い」 茫然と久々知兵助君の背中を眺めていた僕に足もとから、気だるそうな声が上がり慌てて意識をそちらに戻す。 三郎が殴られた頬に手を添えて空を仰いでいた。 「大丈夫か三郎?」 「あぁ、大したことはないよ」 そう言ってパンパンと付いた埃をはたき落としながら立ち上がった三郎に「保健室に行く?」と尋ねると、途端に嫌そうな顔を浮かべて僕をじっとりと睨みつけてきた。 「行かない。私が保健室が嫌いな事を雷蔵は知ってて聞いているだろう」 「まぁお約束かなぁっと思って」 僕は三郎が保健室嫌いと知っている。それは、いつもからかわれている僕が唯一三郎をおちょくることのできるネタとして僕の脳味噌の中にしまわれていた。 此方の心中を察しているのか、三郎はそれ以上何も言わない。そんな不機嫌面の三郎にニッコリと笑いかけてやる。すると彼は唇を尖らせて恨みがましそうな目線を寄越すが僕は無視をして口を開く。 「それで?なんで殴られたんだい?どうせ三郎のことだから、なにか久々知くんを怒らせるようなこと言ったんだろ」 呆れ半分、少しだけ叱りつけるように言ったつもりだったが、三郎はなぜか楽しそうにキラキラと目を輝かせ「さすが雷蔵!」と僕を褒めた。 僕の言葉を肯定するということは、非は三郎彼自身にあるということだ。なのに、嬉しそうに笑う三郎に僕は大きくため息をつく。 「呆れた。それで?何を言ったんだよ」 僕が尋ねると、三郎は待ってました!っと言わんばかりに意気揚揚とことの経緯を話し始めた。 「――っという感じだ」 すべて聞き終わって分かったことがある。 三郎が全面的に悪い。性質が悪い。性格が悪い。久々知兵助君が可哀そうすぎる。 「それは三郎が悪いよ……久々知くんに謝ってきな」 一応、友人として進言して見るものの、我が道を行く鉢屋三郎が聞くわけもなく、むしろ此方の言葉自体聞いていない様子で「いやいや面白いものが見れたなぁー」とご満悦な様子だ。ヘタな事をいって殴られたくせに、なにが面白いのか楽しいのか僕には分からない。思わずまた溜息がどんよりと僕の口から零れ落ちた。 「そう思わないか雷蔵」 「ん、なにが?」 「いつだって無口で冷静沈着。い組の信頼を一身に浴びたあの久々知の取り乱しっぷり。他では見れない愉快なものが――痛っ!?」 「馬鹿なこと言っていないで、謝って来いよ」 「…雷蔵がそう言うなら」 先ほどまで浮かべていた楽しくてしょうがないと言った笑みを引っ込めて、今度は穏やかな微笑を滲ませ僕にそう言うと三郎は先ほど久々知兵助君が走り去って行った方向へ駆けて行く―まではなく、急ぐわけでもなくのんびりとした歩調で歩いて行った。 なんで三郎が久々知君にあんなことを言ってわざと怒らせたのかは僕の知るところではない。ただ推測するに、きっと三郎は彼を気に入っているのだろう。でなければ、三郎は自分から他人にちょっかいなんて出しやしないっとこの数年間共に歩んできて分かっている。 あの口ぶりからすると、恐らく三郎は久々知兵助の普段と違った面でも見たかったのではないだろうか。よく分からないが。 「なんか、同情しちゃうなぁ」 三郎に気に入られてしまうなんて。と他人事のように考えてふふふっと軽く笑う。 しかし、よくよく考えてみれば一番懐かれているのは自分自身だということに直ぐ気がつき、どうしようもなくなって項垂れてしまった。 |
sozai(http://www.fiberbit.net/user/ooo/index.htm)
090718