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 曇り空、月の隠されている深夜のこと。僕は保健室で薬を作るために薬草を磨り潰していた。
 そんな僕の呼吸音と、ゴリゴリとすり鉢に乗せた薬草を棒で潰す音が鳴り響く空間に突如、タソガレドキ忍者の組頭である雑渡さんがやってきた。
 とりあえずお茶を沸かして差し出したのが先刻。ちびちびと減るお茶と共に他愛もない言の葉たちがふわふわと飛びかった。

「何度君に愛の言葉を囁いたことかなぁ」

 世間話の延長で、なぜだか雑渡さんがそんな事をぼやく。
 もしかしたら好きだよ、とか言っていたその続きなのかかもしれない。
 しかし、眠気と格闘しながら一心不乱に薬草をすりつぶしている自分は適当な返事しかしていないような気がする。詰まる所、何を言ったかもあやふやなのである。

「さぁ、いちいち数えていませんよ」
「本当は数えていたりして」

 そんなことを言ってくるので思わずすり鉢から視線を上げて男の方を見てしまった。
 彼は僕の視線が自分に向いたことが嬉しいのか、それとも何か他のことで嬉しいことでもあったのか、その表情を窺わせる僅かなすき間から見える右目を歪ませて笑ってみせる。
 
「伊作君は人の心に興味があるみたいだから」

 彼の言葉は正しい。
 確かに僕は心と言うものに興味がある。人生には全く活用でき無さそうなその探究心は自分が親の死にも泣けなかったことを根城にしてスクスクと育っている。
 しかし何故そのことを、目の前の男が指摘できるのかは不思議であった(そんなに自分はわかりやすい性格をしているのだろうか?)。

「私の恋心は解剖できそうかい?」
「解剖させてくれるんですか?」

 冗談のような言葉に乗っかって薬草を擂る手を休め男に逆に聞き返すと、彼はにっこりと笑ったまま言った。

「君が私のことを、私が伊作君を好いているぐらいに好きになってくれたらいいよ」
「そうですか、それじゃあちょっと難しいですね」

 そう言って目を伏せる。
 彼の黒く淀み、深いところに何かが鼓動するような瞳に射抜かれ、それを真正面から見返すことが出来なかった。
 その視線から逃れることで、戯言の終いを暗に示して薬草を擂り潰す作業を再開させた。
 これ以上彼と会話をして居たらボロが出そうで怖いと言うのが本音。
 薄々勘付いてきた己の中に芽生えているもの。この感情に向きあって、真正面から見つめ返してしまえばきっと善法寺伊作はそこで終りだと、僕は思う。
 そんな此方の動揺染みた焦りのような不安を知ってか、知らずか、目の前の忍は湯呑に残ったお茶を最後の一滴まで飲みほして静かに床の上にそれを置いて立ちあがった。

「御馳走さま、おいしかったよ」
「お茶菓子、無くてすみませんでした」
「いいよ、伊作君とお喋り出来たから。それじゃあ、また来るね」

 上辺だけであろうと思われる言葉の応酬をしてお互い相手を見る。
 彼の真黒な瞳が僕を射抜く。なんだか背中に嫌な汗をかいてきた。

「君が私を――その気持ちを見てくれるまで、ね?」

 ふふっと笑みを零して男は言った。
 僕は表情が凍りつくのを感じたが、それを心配することはなかった。何故ならその表情を見られることを危惧した相手である男は既に部屋の中から姿を消して、保健室の中には僕ひとりだけになっていたからだ。





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酸性キャンディー(http://scy.topaz.ne.jp/)

090719