「そう言えば、三郎は顔は変装しても声は変わらないよな」 俺の部屋に上がり込んで、何をするわけでもなくダラダラと居座る三郎。 机に向かっている俺の背中に三郎が背中をもたれ、そこら辺に散らばっていた書物をパラパラとつまらなさそうに捲っていた。 そんな三郎はいつもの通り雷蔵の顔をしていた。けれど、声質は誰に変装しようと変わらない三郎に、今更ながら疑問を感じ問いかける。すると、三郎はどうでもよさそうにペラリと書物の頁を捲りながら「変える必要がないからなー」と言った。 しかし、それだけではよく分からず返答する前に、彼の言葉について考え込んだ。 すると俺の迷いを感じ取ったのか、背中の三郎がパタンっと書物を閉じて言う。 「声まで変えて完璧にその人になりきる必要がないという話さ。人をからかうだけなら顔だけで十分」 「……それって、声真似も出来るってことか」 筆を置いてぼそりと呟くと、背中の三郎がゆっくりと身を起こし、背中に感じていた三郎の体温が離れて行くのが分かった。 その温もりが恋しかったわけではない、ただ自然と、まるでそれを追い求める様に振り返ってしまったのは、気のせいだ。 「兵助が望むなら――」 振り返った先で、三郎がにやりと笑い―― 「僕にだって」 雷蔵の顔で、雷蔵の声で 「俺にだって」 瞬きの間に、ハチの顔に早変わり。その声は勿論、ハチのもの。 「お前にだって」 驚きに瞬けば、次の瞬間、目と鼻の先に居たのは ――俺だ。 「真似て見せるぞ?」 「いや……いい。遠慮しておく」 三郎が俺に変装しているのなら何度も見たことがあるが、この距離で、それもその口から出る言葉の全てがまるで自分が発するかのような音色を奏でているのだ。 目の前にいるのが三郎だと分かってはいても、あまり気持ちのいいものでもなかった。 「それにな、忍術学園の生徒は顔さえ変装してしまえば声は不要だ」 そう言って、三郎はただでさえ近い距離を更に詰めてきた。 「たとえば―」 掠れるような声音を合図に、三郎がそろりと身体を寄せて、先ほどまで背中だけで共有していた熱がねっとりと全身に纏わりつく。 折り重なる吐息、交わる視線、そろりと露わになっている首元の肌をなぞる三郎の指先。 伏せられた瞼と、影をつくる睫毛。徐々に競り上がる漆黒の色を燈した双眸が俺の眼を射抜き、呼吸を失った。 息を飲むほどに魅入り、近づいてくる唇を避けることも、拒むこともできず甘受し重なる唇の感触にトロリと意識が溶けかかる。 「――と、言う風に知覚に意識を集中させてしまえば、聴覚など不要なものだと思わないか?」 パチン、と夢から覚醒するかのように、三郎の声がまどろんだ俺の意識を浮上させる。目の前にいる三郎は未だに俺の顔をしているが、その口から発せられる声はいつものように三郎自身のものだ。 まるで夢の一時のようだった、数秒。 確かに俺の意識から音という音の全てが消え去り、目の前にあった三郎だけを見ていた。 そうは思っても、こちらの内心がわかるのか、飄々とした三郎の態度がなんとなく癪に障り、ジロリと睨んで見るが肝心の三郎はそれさえも笑みの種にしてしまえるようだった。 俺の顔で笑む三郎が「そう怖い顔をするな、せっかくの顔が台無しだぞ?」と、軽い調子で笑いながら言い放つ。 このままでは押されっぱなしだと思い、僅かな抵抗としてむすっとした顔を浮かべてみせる。 「…なにも、俺の顔で接吻しなくても良かったじゃないか」 「此方の方が楽しいかと思ってな」 そう言って三郎は俺の顔のままパチンっと片目を瞑ってウィンクを飛ばしてくる。 自分の顔にそんな仕草をされてもときめくはずもなく、どこか寒々しい気持ちになりながら静かに溜息を零した。 |
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酸性キャンディー(http://scy.topaz.ne.jp/)
090719