「雑渡さんは死にたいと思ったことはありますか?」

 どうしてそう言った話になったのか一瞬呆けて瞬きをするが、直ぐに思い当たる節があり世界を映し出している片目を今宵天空に浮かぶ三日月よりも細めて、目の前の少年に言葉を投げかける。

「突然、藪から棒だね。どうしたんだい?」
「質問に答えてくれたら答えます」

 澄ました顔をして忍術学園の保健室を本拠地とする保健委員会の委員長である六年生の善法寺伊作が言いながら茶をすすった。

「んー『死にたいと思ったことはあるか』ねぇ…そうだなぁ死んでしまった方が楽だと思ったことは何度もあるよ」

 お互い向かい合って、それぞれ湯のみと茶菓子が宛がわれて座っている。
 その状態で、少年に笑いかけながら、人生という記憶に埋もれていた該当する記憶を引き出しながらそれを舌の上に乗せ、紡ぎ出してみせる。

「生きたまま火に焙られた時や、内臓を鷲掴みにされて引っ張り出された時とか、あとは―」
「それ以上言わないでください、折角の茶菓子が不味くなる」

 より詳細に語ろうと考えていたところ大雑把に言葉をぼやかして喋ったと言うのに、此方の返答が気に入らなかったらしい少年は茶菓子を口元に運んでいたがそれを口に含むことはせず、不愉快そうな顔をして持ち上げていた茶菓子を皿の中へと戻しながらそうぼやいた。
 己から尋ねてきたのに、言葉を撚り好むなんて贅沢な子供だと思ったが、それは口にはせずに肩を竦めてニッコリと笑う。

「おや、私は君がこう言った話を好むものかと思っていたよ」
「妙な勘違いをしないでください。それではまるで僕が変人ではないですか」
「そうだと思ったんだけどねぇ」

 ふふふ、と笑みを深めてやれば、少年の眉間のしわも比例して深まって行く。可笑しくて更に笑みを転がすと、少年がどこか諦めを含んだように俯いて隠すつもりもなさそうな溜息を盛大に吐き捨てた。

「それでだよ伊作君」
「はい?茶菓子ですか?もうこれが最後ですよ」
「違うよ、ワザと言っているだろう。なんでこんな事を聞いたのか答えてくれるんだろう?」

 意図的に斜めにされた言葉を矯正させて、本来の道筋に戻して疑問形にしてはやや有無を言わさぬ口調で問いかけると、少年は視線を他所に外してうーん、と唸った。

「知りたいですか?」
「うん」
「じゃあ教えません」
「嘘、知りたくないよ」
「それじゃあ教えてあげます」

 澄まし顔ですすっていたお茶を床に置きさらりとそう言い放った少年を無言で見やる。今のように冗談に冗談を厚塗りしていくようなやり取りを、既に数え切れないほどしてきたが、その度に思うのだ。

「君ってめんどくさい性格をしているね」
「しょうがないです、これが善法寺伊作ですから」

 内心を見せないような微笑で言ってやれば、さして気にする風でもなく善法寺伊作という少年は当然と言わんばかりにあっさりと肯定の言葉を吐いた。
 かわいげがないなぁっと少々つまらなく思いながら、目の前の彼を見ていると、こちらの視線を催促と受け取ったのか、少年は先ほどのように渋ったり言いよどむこともなく、あっさりと「単なる好奇心です」と答えを提示してきた。

「僕は“死”がいまいち理解できていない人間なので、その死を望む人はいったいどういう気持ちなのか……気になったんです」

 善法寺伊作は億劫そうに伏せていた瞼を持ち上げて、綺麗でいて淀んでいるような、両極端な色を含んだ瞳に此方の姿を映して瞬いた。

「ねぇ雑渡さん。“死”には一体なにがあるんですか。人を多く殺して、殺されかけて、それこそ死にかけた。僅かでも死に心を奪われたことのある貴方はその時一体何をみました?」

 捲し立てて言葉を並べて行く少年は、普段と少し様子が違うように思えた。まるで、焦っているかのように、どこか心の螺子がひょんな事でずれてしまったみたいに。

「死は救済ですか?それとも絶望ですか?」

 此方を射抜く双眸は弱い光を灯して、だけどそれは死にゆく者が最後にその者を手に掛けた自分を呪う時に見せる恨みにも生への足掻きにも似た強さを滲ませている。
 その瞳がすでに彼の問いかけの答えを持っていると言うのに、その瞳の持ち主である彼自身には己のそれを見ることが出来ないなんて、なんとも滑稽なことだと思いながら、私は優しく微笑んでみせた、

「私には君に教えてあげられることはないよ、伊作君」

 幼い子供に言い聞かせるように、ゆっくりと口を動かす。
 善法寺伊作は、まるで感情を欠如させてしまったかのような能面顔で此方を見つめていた。

「私が持つのは死に近い臭いだけ。その先には私も迫れないし、迫ろうとも思わない。何と言ったって――」

 呼吸を置いて、一秒。
 伊作君の鼻先まで近づいてにっこりと笑いながら、ぽんぽんと彼の頭を撫でる。

「死にたくはないからね」

 私に頭を撫でられながら、彼はその手を払いのけるようなことはせず、ただ私の自己満足のようなその仕草を享受して何か考える様に口を噤んでいる。
 そんな彼を慰めることも導くこともせずに、私はただただ彼の頭を撫でていた。すると、少年は自分の心にどうにか区切りをつけた様子で、先ほどまでとは若干違った面持ちをさせて頭を上げた。

「そうですか、ありがとうございました」

 傷心なのだろう、どこか弱々しい声音の彼を元気づけるにはどうしたらいいものかと、彼の頭を撫でながら考える。
 まだ少年は私の手を振り払わないで居た。

「戯言でも心が満たされるのなら宗教へ肩入れしてみたらどうかい?あそこは超越した存在を祭るか、悟りという境地を拓いて生と死に意味づけを行っているようだから」
「………いいえ、結構です」

 手を止めて、少年の顔を覗き込む。
 少年の伏せ目がちな瞳に睫毛の影が冴える。妙な色気にどこか邪な感情が心の中に芽生えるが、それを一掃するかのように此方を見上げた少年の目に射抜かれ私の心の中で咲いた邪なそれは塵も残さずに散っていった。

「そんなものでは僕の心は満たされませんから」

 まっすぐとした瞳が私を見る。
 その瞳に己の酷い顔が映ったのを見て、私は静かに彼の頭から手を退かし微笑みかけてみた。
 それでもやはり瞳の中の私は酷い顔をしていた。





sozai(http://swordfish.heavy.jp/blue/index.html)
090726