kema and zenpouzi












 その任務は酷く難しいものだったと覚えがある。それについたのが、伊作とそして同じ組の奴だった。大変な任務だった。上級生でさえも危ぶまれる内容を、3年に上がりたての彼らに任されたことは今では考えられないようなことだった。
 しかし彼らは任務を無事に成功させて学園へ帰ってきた。
 伊作は無事だった。腕に酷い傷を負いながらも泣きごとを言うわけでもなく、しかしいつものような笑みを浮かべることもなく、切羽詰まった顔をしていた。
 彼は友を半ば担ぐようにして学園の門をたたいた。血だらけであった彼は普段の温和な保健委員の微笑みなど忘れてしまったかのように強張った顔をして死期の近そうな友を連れ帰ったのだった。
 その友人は帰らぬ人となった。任務で負った怪我は酷く、三夜過ぎた頃にひっそりと学園内の一室で息を引き取ったそうだ。
 彼には親類はおらず、だから最後を見届けたのは学園の職員と伊作だったそうだ。引き取り手のない遺体は学園で葬られることになった。作りたての小さな墓の前で同じ組の、そして交流があった者たちが彼のために泣いていた。勿論、自分も溢れる涙を堪え切れず嗚咽混じりに顔を汚した一人だった。だけど、彼は―伊作は涙するどころか悲しそうな表情も浮かべつひとり後ろの方で友人の眠る墓を見つめていた。その顔はまるで迷子の子犬のように頼りなく、どこか危うげな雰囲気を醸し出していた。
 そんな伊作に部屋に戻ってから「お前は泣かないのか」と尋ねた。思えば、この頃の自分は若く浅はかだった。
 自分は悲しくて泣いてしまったのに、彼は涙を我慢することのできる強い人間だと考えたのだ。だから少々の尊敬と悔しさを込めて、そう尋ねたのだが伊作は無表情でふるふると首を振った。

「留三郎、僕ってさ泣けないんだ」

 一言一言たどたどしく区切りながらはっきりとそう言って伊作は笑った。いつものように何かへまをしてしまった時に見せるような困ったような照れくさそうなそんな笑顔だった。

「僕は『死』と言うものが理解できないんだよ」

 一瞬、伊作が言った言葉の意味が理解できず思考が泥のように漂い、次第に水底で静かに堆積してゆくかのように落ち着いて行った。
 目の前の彼は此方がそうして落ち着くの図ったかのように、俺が静かに呼吸を吐き出すのを確認してから先を続けていく。

「幼い頃に、父が死んだことに絶望して一家心中を図ろうとして僕以外の皆が死んでしまった時からよく分からないんだ」

 この3年間共に食事や寝床をともにしてきたが、伊作がそれを語るのは初めてだった。
 彼の口から飛び出した言葉に俺は驚いて思わず目を見開き彼を見返すが、彼の表情には哀しみや寂しさは見えず、目の前に居るのは淡々とした伊作だった。

「一体、死ぬということはどういうことなんだろうか」

 伊作の双眸が俺の姿をとらえる。
 まっすぐに淀みなく、そこに映る己の姿。
 その瞳の奥に潜むであろう伊作の心がわからない。そう悟った瞬間、ざわりと背中を悪寒が駆け抜けて俺は初めて目の前にいる友人の伊作が怖いと思った。

「留三郎は僕が怖い?」

 伊作の目が猫のように細まって此方を見据える。彼の言葉に更に息を詰まらせ言葉を無くし何を言えばいいのかも分からずに漠然と立ち尽くして、心の中で大いに焦っていると伊作が普段のように鈴を転がすようにして笑んでみせた。

「ふふ、顔にそう書いてある。いいんだよ別に。僕も自分がどこかおかしいことは分かっているんだから」

 だって僕は彼らのように泣けないし、なぜ泣いているのかも分からないんだからね―そう言って伊作はまた微笑んだ。微笑んで、寂しそうな横顔は夕闇に照らされながらほんのりと顔を出し始めた夜に溶けて消えてゆきそうだった。

「おかしくない!」

 彼の言葉に無性に腹が立った。そして気付けば声を荒げて拳を震わせ彼を怒鳴りつけている。此方の怒声に伊作の肩がびくりと震え上がったのを見て、少々後悔の念に苛まれるがそれよりも怒りの方が勝っていた。そんな怒りに顔を赤くさせているであろう自分に、怒鳴られた伊作は先ほどの己よりも目を大きく見開いて仰天した様子でこちらを見返していた。

「伊作は、伊作だ」

 今度は彼を驚かせないように、声を荒げずしかし逆に押し留めた怒りに浸った声はドスがきいていた。
 驚いた様子ながらも黙って此方の言葉に耳を傾けている伊作に大きく深呼吸をした後、言の葉をひとつひとつ丁寧にきちんと伝わるようにと舌の上で滑らせる。

「死がわからないのも、涙が流せないのも、全部伊作だ」

 友の死がわからず一人涙の流せない彼の肩に両肩を置いて、俺は言い切った。

「おかしくなんかない」

 至極真面目にそう言った俺の顔を伊作は数秒じっと見つめて、あろうことか大きく口を開けて大笑いし出した。
 そんな伊作の様子にこちらが驚いて、呆けていると伊作はなおも笑い続け腹を抱えながら必死に息継ぎをしていた。かける言葉さえ思いつかず狼狽している俺を放って、伊作は笑いすぎて出てきた涙をツゥっと指先で払い顔を上げた。

「ありがとう、留三郎」

 晴々とした顔でそう言われ俺はきょとんとしてしまう。
 伊作が笑った意味も理由も原因も聞くことを忘れて俺は彼の頭を乱暴に撫でながら「おう」とぶっきらぼうな言葉を返すことしかできなかった。






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090405