薄っぺらいはずのそれがひどく重い。いつから私の瞼は鉛製になったのだ、とまどろむ意識の中で自問自答する。根気で水底に沈みきってしまったような瞼を持ち上げて世界を眼に映し出す。すると、そこは火の粉が奔る戦場だった。 何故戦場だと知れたのかと言えば、ちょうど私の視野の中央で鎧をまとった男たちが血を流しながら刀を振り回していたからだ。そういえばこんな光景をつい最近見た気がする。 それはブラウン管が描き出した小さな箱の中の物語。夜のご飯時に放送されている時代劇だ。 合点がいき、ああ。と思わず呟く。すると、前方に居た刀をひっさげた侍がこちらを振り返った。血走った目がギラギラと光り、私を射抜く。 テレビなのに、なんて迫力。その凄みに押されて一歩後ろに後ずさり。すると足もとから砂利の転がる音がした。不思議に思い視線を足元に落とす。 可笑しい。私は先日買ったばかりのメーカー限定品である赤いラインの入ったスニーカーがお気に入りで最近はそればかりしか履いていなかったのに、今私の足を包んでいるものは、流行の最先端ではなく、むしろ流行をどこまでも遡ったような、何と言うか忘れたが、足袋?だっただろうか。そんな昔の日本人が履くようなそんなものが私の足に収まっている。 困惑気味に顔をあげると、眼前に光るものがあった。何かと思う間もなくそれは私の頬を掠めていく。 見ればそれは爛々と光る日本刀ではないか。赤く滴るものは、きっと私の血に違いない。 しかし、わからない。これは何だ?時代劇ではないのか?私はいったいどこで何をしている? そして、気づけば再び武者が私の人生14年間の中で、一度たりとも見たこともないような必死な形相でこちらに向かってきていた。 それはきっと畏怖だ。彼は恐れている。 何に?何で?どうして? しかし、私は答えを知っていた。私ではない私のこの体が無意識に動く。 私は確かに笑っていた。 そしてそのまま、私の土で汚れた手が握る、小さな刀のようなものが男の喉をかっ切った。映画で見るようにそこからは血が噴き出した。それが掛からないように一歩後ろに下がる私が居た。 私は静かに男を見下ろしている。 視界の端からジワリと赤がにじみ出て、口から泡を吹きながら動かなくなった男から目を外せずに凝視していると、次第に視界がすべて赤で埋まる。 --赤に閉じられた世界で、やはり私は笑っていた。 「三郎!」 「うわっ!?」 「おわ?!」 肩を叩かれ思わずそれを払いのけ立ち上がる。 すると、俺の横ではっちゃんが間抜けな感じに尻からすっ転んでいた。 まだドキドキと左胸で暴れる心臓の音を聴きながら瞬きを繰り返しぐるりとあたりを見回した。 正面にはびっくりした雷蔵と、その隣ではっちゃんに「大丈夫か?」と声をかける兵助、そして平助の視線の先で痛そうに顔を歪めてるはっちゃん。 「…はっちゃん何してんの?」 「お前がいきなり声をあげて起き上がるからびっくりしたんだよ!」 「え?」 恨みがましげな眼で私を睨みあげるはっちゃんに瞬きを繰り返し首を傾げる。 「もう、下校時間だよ三郎。熟睡してたみたいだけど起してごめん」 そう言って、先ほどまで私が寝耽っていた机の向こう側から雷蔵が鞄を差し出してにっこりと笑う。 革製の真っ黒な鞄。どうにかこうにか薄くしようと試行錯誤した結果、よれよれになっている私の鞄だ。もちろん教科書の類は入っていない。 差し出されたそれを礼と共に受け取り、今だどこか釈然としない思いに首を傾げたまま椅子から離れる。 「随分熟睡してたな。なにか寝言も言ってたけど」 「え、嘘」 「よく聞こえなかったけどな」 そう言ってきたのは兵助で、私は思わず目を丸くさせて彼を見返す。 視線が兵助の大きめな瞳とカチ合って、意味もなく見つめ合うこと数秒、なんとなく根負けして私が目をそらした。 「夢を、見ていたかも」 「へーどんな夢?」 「……さぁ、忘れてしまった」 肩をすくめてにんまりと笑って見せれば、兵助は興味がなさそうに「ふーん」とつぶやき、雷蔵は「三郎らしいや」と笑い、はっちゃんは「なんだよそれ」と呆れてみせた。 そのまま浮ついた笑みを転がして、席から離れ教室の外へと向かう皆の背中を追いかける。 ふと、何か尾を引かれるような気持ちになり、先ほどまで自分が眠っていた窓際の席を振り返った。 夕日が燦々と入り込んだ教室は、寂しさを孕み橙に染め上げられて、そんな光景の中で不意に己の席に面を付けた不可思議な青年が立っていた。 驚いて目を見開くと、青年は夕日を背に背負っているため表情は影ってよく見えないが面の奥で笑ったようだった。 声を上げようとした瞬間、瞼を落とすと既にそこに青年の影は無く、白昼夢でも見ていたかのよう。 「三郎?置いてくぞー」 「…あぁ、すぐ行く」 はっちゃんの私を呼ぶ声を聞き、振り返れば扉の所で自分を待つ三人の姿が見えた。 返事をして、再び教室の端へと振り返るが、そこには息をひそめて並んでいる机と椅子たちだけしか存在せず、私は喉に魚の骨でも引っかかったような気分のまま橙色の教室を後にした。 |
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090802/090825