廊下に張り出された成績表を眺めながら俺は毎回毎回、この意味のない順列に首を傾げる。 学年一位に自分の名前があることなど特に気にかけることではない(と言ったらハチに思いっきりぶん殴られた前科ありだ) 俺が気にかけているのはそこではない、貼りだされる上位二十名の中に何故彼の名前がないのかということだ。 そのことを何気なく隣で「また兵助は上位か」と憎らしそうな面持ちをしているハチに問いかけると、彼はきょとんとした後顎に手を当てて唸り出した。 「それで僕に聞きに来たの?」 明日の授業の準備をしている雷蔵の傍に座り込んでしゃべり終わると、彼は机からくるりと此方を振り向いてそう問い返してきた。 「雷蔵なら何か知っていると思って」 彼と同じ顔(と言うとまた少し違うかもしれない)鉢屋三郎は実に優秀な生徒だ。普段の彼を見てもわかるように、彼の忍術は五年の中で一際抜きん出ており、教師生徒問わず天才と謳われる程の腕前である。 しかし、そんな鉢屋三郎は何故か定期試験の成績発表にはその名前を現さない。長く疑問に思っていたことだ。きっと俺達以外にも不思議がっている奴はいるに違いない。 とうとうその答えが知りたくなって鉢屋三郎のことならば奴に聞け―と学園で大人子供問わず名指しされる三郎と同室で居て、彼に顔を貸している不破雷蔵の元へやってきたわけだ。 「うーん、そう言われると確かにそうだけど。けど僕はそれを今まで疑問に思ったことはなかったかなぁ」 「そうなのか?」 「だって三郎が勉強しているところを僕は見たことがないからさ」 と言う。一瞬、思考が停止して首を傾げる。隣のハチを見ても不可解そうな面持ちで「は?今まで?五年間の間に一度も?」と雷蔵に確認をとっていた。 すると雷蔵はなんてことはなさそうに「うん」と頷いて苦笑しながら口を開いた。 「三郎って試験前で僕が必死に勉強している横で遊ぼう遊ぼう言ってくるんだよ?邪魔だって一度一喝したらしょぼくれちゃってまた面倒だったけど」 「や、けど、三郎って実技は半端なく成績いいだろ」 「そうだよねー言われてみればそうなんだよねぇ」 そう言って雷蔵が顎に手を当てて首を傾げながらうんうんっと唸りを上げる。彼の悩みぐせは珍しいものではないのでよくこう言った雷蔵の姿をみることがあるが、その都度答えらしい答えは導き出せていなかったような気がする。 「きっと三郎は勉強が苦手なんだと思うよ」 そんな少々失礼とも言えるようなことを考えていると、数分の時が経っていたらしく雷蔵が閉じていた瞼を開いて悩みぬいた結論を口にした。そんなものなのだろうか、とハチと雷蔵と三人で顔を見合わせ眉を吊り下げると、雷蔵が「そうだ」と閃きの言葉を放ち立ち上がった。 「納得できないなら、直接本人に聞いてしまおう!」 「で、直接私に聞きに来たわけだ」 「そう言うことだ」 結局いつもの面子で顔を合わせて、三郎を囲うと彼は苦笑を滲ませて顎先を指先でなぞりつつ唸り声を零した。 「と言ってもなぁ。別段なにか特別なことがあるわけでも無く、雷蔵が言うとおり私は勉強が嫌いだ」 「試験前に勉強は?」 「していない」 「マジか?!」 「大マジだ」 ハチの驚きの声に、三郎は往々しく頷いて見せる。 そのあまりにも堂々としている態度に、ハチがたじろぎながらも「いや、けど教科書ぐらい見るだろう」と声を荒げて主張するが、三郎はそんなハチを鼻で笑うと「するわけないだろう」と言う。別にそこは自慢げに言うところではないし、ハチもそんな三郎に打ちひしがれなくてもいいところだ。 「おかげで私の筆記試験はいつも赤の旋風が巻き起こっている」 えっへんと威張るように胸をはる三郎に、斜め後ろにいる雷蔵が「自慢することじゃないぞ三郎」と笑っていた。 しかしそんな彼を尻目に、まだ不服そうなハチが唇を尖らせて「けどよぉ」とぼやく。 「三郎は実技ならい組の主席である兵助とだってやりあえる。なのにそんな三郎が試験で上位にいないのはおかしいだろ」 「はは、買いかぶりすぎだ」 ハチの質問にも三郎は軽い調子で、ハチの眉間の皺はさらに深まり、疑心も一層深まったようだ。 「三郎……お前、手を抜いているんじゃないのか」 「なんで私がそんなことをしないといけない」 「お前ならあり得そうだからだ」 思わず、確かに。と頷くとハチに向かい合っていた三郎が此方にちらりと呆れた視線を寄越してくる。その目はまるで「お前達は私を一体なんだと思っているのだ?」と責めているようであった。 俺達二人の顔を眺め三郎はハァっと見せつける様に溜息を吐きだす。 「お前たちは私を過大評価している。…そもそも、だ」 片手を腰に添えて、残りの片手をビシッと指さす。なんとも迫力のある様である。ちなみに指先は俺の目と鼻の先、指を差されているのは俺だ。 三郎の指先に意識を向けていると自然と寄り目になっていく自分が居る。 「実技については私と兵助では始まりから差があった。そもそもの始点から違っていたのだ。しかし勉学は違う。私達は同じ土俵に放り込まれた。そこで私は努力せず遊び呆け、お前はきちんと真面目に机に向かった。その差が学年一位と赤点ギリギリっと言うことだ」 段々と三郎の指先だけが妙にリアルに、そしてその他がぼやけてきた視界に慌てて意識を震い焦点をずらす。そうすれば視界にクリアさが戻ってきた。 鮮明な視界の中央で三郎を見れば、彼は片眉を吊り上げるという絶妙な表情でおどける様に笑みを浮かべている。 「納得したか?」 「つまりお前が不真面目だってことだな」 そう返せば、三郎は此方に突きつけていた手を降ろし「ま、そういうことだな」とケラケラ笑い声をあげた。 「けど三郎の場合、頑張れば直ぐにでも勉強もできるようになりそうだよな」 と、ハチが言う。 「確かに。ねぇ三郎、今度の試験頑張って勉強してみてよ」 それに続けて雷蔵がどこか含みのある笑みを浮かべてそう言う。 「雷蔵?」 不穏な空気を察したのか、三郎が眉を寄せて雷蔵の名前を言う。 「僕さ、やれるのにやらない人って好きじゃないんだ。三郎のこと嫌いになるかも――」 雷蔵の笑みとともに紡がれた言葉に三郎が勢いよく立ちあがった。 それに俺とハチが驚き眼を丸くして見上げると、三郎はまるで世界の崩壊を告げられた様な顔を浮かべて泣き出しそうな声で喚いた。 「勉強するから嫌いにならないでくれ雷蔵!」 騒動があった日から次の試験が終わり結果が張り出された本日。 俺は張り紙の前で腕を組み結果を見上げていた。 「で、結果がこれか」 「三郎みたいなやつを天才って言うんだろうなぁ」 前回、兵助の名前があった場所を我が物顔で居座る三郎の名前に俺と雷蔵が云々と唸る。 なんというかやればできる子と言うものを見せつけられた気分だが、酷く納得がいかない。 「それで、その天才はどこいった?」 三郎のことだから結果を見て雷蔵に飛び付いてきそうだと思っていたが、肝心の三郎の姿がない。 きょろきょろと視線を巡らせても、辺りにもう一人雷蔵の顔は見つけられなかった。 「兵助のお見舞いに豆腐を持っていってる」 「あぁ…」 雷蔵の言葉を受けて、かつてないほど必死になった三郎の白羽の矢に当てられたのは他ならぬ兵助だった。 まるで母親が死んでしまうっと泣きついてくる子供のような形相で兵助に勉強を乞うた三郎に彼は真面目に教師をしてやったのだ。 己の勉強もあっただろうに、必死に教えて先日試験を終えた兵助はぶっ倒れた。睡眠不足、そして緊張の糸が切れたのだろう、と新野先生は笑っていた。つまりあまり大したことはないのだが原因が己であると自覚している三郎はなんとか兵助を元気にさせようとあの手この手を使っているようだ。 「なんだか兵助が可哀そうだな」 「うーん、だけど兵助この結果に凄く満足そうだったからいいんじゃない?」 「自分は学年二位に落ちたってのに?」 「兵助も変わり者だからね」 そうなのだ。つまるところ、彼は喜んでいたのだった。 自分の成績が下がったと言うのに、三郎が上位に居ることに酷く嬉しそうに笑っていた。 俺には兵助がいったい何を考えているのかよく分からない。 雷蔵は変わり者っと言うだけで片付けてしまうつもりらしい。 「…俺たちも見舞いに行くか」 「そうだね」 納得が出来ないが、結局のところ正しい答えは本人しか持っていないのだろう。今度兵助が元気になったら夕飯の豆腐でも分けてやって尋ねてみるのもいいかもしれない。 そんなことを考えていると、腹が減ってきた。兵助の長屋に向かいながら今日の昼飯はなんだろうか、と隣の雷蔵に尋ねると答えは返ってこない。前方を見つめていた視線を横にずらし隣の雷蔵を見ると、顎先に手を添えて迷いぐせにスイッチが入ったようで、うんうんと唸っていた。 |
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090826