「此処が三郎が六年間世話になる所だ」と私を拾い父のように接してくれる男は言った。
 普段から私は彼のことを名前で呼んでいるが、それをすると彼は「父と呼べ」と阿修羅のごとく怒るので、これ以後は脳天にタンコブが増えて欲しくないので便宜上彼のことは父上と呼ぶとする。
 既に人を殺める術も心意気も培われていた私だったが、父上の教育方針でこの学園に入学することとなった。
 忍術を専門に教える学園に足を踏み入れ、一番偉い学園長に挨拶に向かう途中授業風景がちらりと視野の端で目にとまり、その遊戯のような光景に私は思わず口をぽかんと開いて「温い、なんだか間抜けだ」と呟いてしまう。
 次の瞬間には、父上の拳が脳天に振って落ちた。
 あまりの痛さに悶絶し、恨めしげに上にある男の顔を睨みあげて文句を飛ばそうと口を開いた矢先、こちらの言葉を遮るようにして男が「そう言うことは思っても口にするもんじゃないぞ三郎」と叱りつけてきた。
 しかし納得のいかない私は唇を尖らせて、父を睨みあげる。
 すると、彼は私の不貞腐れた面に苦笑を浮かべ、がさつな仕草で私の頭を撫でた。それはまるで犬でも撫でるような乱暴さであった。


 私達はこの学園を仕切る学園長殿の部屋に通された。
 高名な忍者だったと聞いていたので、知らず緊張で身体をこわばらせていた私の前に現れたのは、小さな背のご老人だった。父上が深々と頭を下げて挨拶をするのを視界の端で捉えながら私は学園長を眺めた。
 目の前の小さな身体は至って平凡、そうとしか言い表わせない。しかし、目の前の老人が名高い忍であることは間違いなく、こう言った場合舐めてかかると痛い目に会うことは短い人生の中でも十分に学んできたことであった。
 なので自然に私は父上の影にそっと身を隠してじぃっと彼の人を眺めていた。そんな私の様子に老人は愉快そうに「照れておるのか、可愛らしい子じゃな」とわざとなのか本気なのか検討のつかない冗談を零しながら笑っている。
 シワの濃く刻まれている顔がじっと温かみのある眼でこちらを見ているので居心地の悪さは最高だった。
 なので思わずついつい、父上に「学園内を見て回りたい」と駄々を捏ねてしまうが、これがまたあっさりと許可が下り「鐘が鳴る頃戻ってきなさい」と言う約束事を抱えて私は今一人で学園の敷地をぶらりぶらりと歩いている。


 学園の中はとても平和で、時折子供の軽快な笑い声が聞こえてきた。
 やはり、この場は忍びの性を知る私から見ると、耐えがたいほどにぬるかった。
「忍の育成機関がこのようなことでいいのだろうか」
 あの老人はいったい何を考えているのだろうか、はたはた見当がつかない。
 幼いころから忍として戦場に出向いていた自分から見ればこの空間は平穏すぎて逆に怪しいほどであった。だが授業の様子を見れば一応忍の術は伝授しているようではある。
 しかし人も殺したことがない子供がはたして本物の戦場に赴いて任務を達成することはおろか命を落とさずに済むのかも怪しい。
「ごっこ遊びを本気でやっているだけのようだ」
 不意にそんな言葉が己の唇から零れ出てしまい、慌てて口を噤む。
 幸い周りに人気は無く今のぼやきは誰の耳にも届かずに済んだようだ(たとえ誰かに聞かれていようと別段気にはしないのだが)。
「平穏、だ」
 文字通り、この塀の中は忍者を育てる空間のはずなのに平穏そのものだった。私に幼いころから忍術を叩きこんだ鉢屋衆の集落とは、本質を共にしているはずなのに何もかもが違っている。
 ただ、やはりここに居る大人は本物の忍びばかりで、彼らの後姿を見ると尾のように黒い靄が付いて回っている。
 あれは怨恨だったり、嘆きや悲しみ、呪いと言った人の死から這い出るもので、便宜上鉢屋の物はそれを『穢れ』と呼称していた。
 戦場で良く見るものだが、やはりそれは人の死に関係するものに憑いている。そしてそれは本質的に良くない。あまり量を持ったり濃くさせてしまうと害が及んでしまう。しかし、それは多くの者には見ることどころか知ることすら出来ぬものなので、人はそれをあまり気にして居ない。否、気にすることが出来ないでいる。
「見えてたら、あんな気持ち悪いもの取っ払いたいに決まってるだろうしなぁ」
 そう口にすると、自身の身体に付いているその気持ち悪いものが不機嫌そうに波打つが無視。角を曲がって見えなくなった黒い忍び装束の背中を見ながらポツリと「まぁまだあれなら大丈夫か」と、呟く。あれほどの『穢れ』を抱いている者がいるということは、平穏に思えるこの学園にも影は付きまとうということに、少なからずと興味をそそられ目を細めた。
「…っ、なにか今」
 ピン、と糸が張り詰めたかのような緊張感。僅かに下がった体感温度に勢いよく顔を上げる。
 不意にどこかで何かがざわめく気配がし、自身に纏わりついている『穢れ』共が共鳴するかのように落ち着かぬ様子で騒ぎ出す。それらが総じてある方角を向いてざわついている。私はそちらへと視線を向け、数秒の間考えたが直ぐに引き寄せられるように息を潜めて地面を蹴った。



 辿りついた先は学園の奥にある林だ。奥に進むにつれ太陽の光が薄れ暗くなる。
 濁り始める空気に『穢れ』が落ち着きなく蠢く。それに眉間に皺を集めて緊張の糸を張り詰める。
 おそらく私にしか聞こえぬであろう『穢れ』共の金切り声が耳触りになってきた頃、ようやく辺りの異変の根源へとたどり着いた。
 静かに跳び移った枝の上で止まり、幹の影からそれを見下ろし息を潜める。
 そこには一人の子供が居た。子供と言っても私と同じかもしくは一つ二つ上ぐらいの少年だ。衣服から判断するに彼は忍術学園の生徒の一人だ。
 そんな少年の目の前で火薬が爆した。途端に辺りの空気に鉄の臭いと火薬の臭いが漂い絡み合い混ざり合う。
 少年の目の前には動物の爆死した死体がひとつ――と言わず数体転がっていた。恐らくそれは全て目の前の子どもがやったことなのだろう。
 子供の静かな眼差しの先で死んだ猫の虚ろな目があった。もの言わぬ屍骸のはずだが、まるで何か語りかけてくるような気迫がある。ただ、私の目にはそこからドロリと零れ落ちた『穢れ』の姿が見えていたが、恐らく目の前の少年には何も見えてはいないだろう。
 見れば彼が殺したであろう動物の死体から同じように『穢れ』が立ち上り蠢いている。まるで生きている者を呪うかのように少年へと伸び蠢く触手のような黒い靄に気持ちが悪い、と眉間に皺を寄せると、自分の体に纏わりついている『穢れ』がそれらに呼応するように一際大きく蠢いた。
 あまりに大きな動きだったので、釣られて私の身体が揺さぶられる。やばい、と思った時には木の枝の上で身体の均衡が崩れてそのまま茂る草の上へと落ちた。
 受け身は取ったものの、結構な高さだったので身に降りかかった衝撃は大きい。痛みに悶絶していると、茂みの向こう側から静かな殺意にも似た視線を感じる。
「そこに居るのは誰だ」
 若い声だった。自分も人のことは言えないが、まだ声変わりする前の少年の声が私の存在を暴こうと発せられる。
 はてさてどうしたものかと茂みの中で腕を組んで考える。
 ゆっくりと体制を整えて葉の合間から少年の姿を覗くと、真黒な瞳がなんの感情も載せずに此方を見据えていた。
 その黒に宿る虚空に不覚にも興味をそそられた私は、何も考えぬままに立ち上がり彼の前に姿を示す。
 冷えた黒の双眸が私に向けられ、彼と目があった私は不意に口元を緩め微笑みを浮かべ彼を見返し笑っていた。






sozai (http://swordfish.heavy.jp/blue/index.html)
091015