例の如く、なんの知らせもなしに忍術学園の保健室へとやってきたタソガレドキ忍者の雑渡が、薬草取りの際に外へ忘れてきた籠を取りに行こうとする一年生の伏木蔵のお守と言うよりはお供に半強制的に連れて行かれ、保健室に残ったのは苦労性の諸泉と保健委員長の善法寺だけであった。 のどかな空気の中、善法寺伊作が湯呑に濃いめの茶を入れ差し出された座布団の上に納まっている諸泉の前に置く。彼は素直に礼を述べたが、湯呑を持つだけでそれに口を付ける素振りは無い。熱い茶が飲めないのか、はたまた別の意図があって口をつけないのか。伊作は素知らぬふりをして薬品の管理名簿と棚の在庫を照らし合わせる作業に舞い戻った。 「俺はあんな組頭見たことがありません」 不意に言葉を発したのは諸泉で、彼の言葉は緩やかな時を刻んでいた室内を不穏な影で僅かに乱した。 諸泉の指す“あんな組頭”とは先ほど保健室を出ていく時に見送った時の雑渡のことを言っているのだろうかと、善法寺は考える。 「君がそうさせているんですよ」 「さぁ……そうでしょうか?」 諸泉が静かに受け取った湯のみを脇に置いた。一口も口のつけられなかった湯のみの行方を善法寺は視界の端で小さく捉えたまま、何か物言いたげな諸泉に向き直った。 「組頭は貴方の為ならば今まで築き上げてきたものを全て崩してしまうことも否まないでしょう」 善法寺伊作は何も言わなかった。ただ蝋人形のように其処にあった。 「しかし、俺にはそれが堪らなく辛抱できないんですよ。ですから――」 そう言った諸泉は善法寺が瞬きをした刹那の間に懐からクナイを取り出して、善法寺の露わに曝け出されている首元に鋭い切っ先をひたりと突きつけた。 「今の内に君を殺してしまおうかと」 彼らの居る保健室は静かだった。戦場にある荒々しい殺気も怒気も存在せずに、しなやかで居て形のおぼろげな殺意が突きつけられたクナイの形を持ってして世界に意味付けされているだけ。 そんな場で見つめ合う二人の視線が絡み合い解ける兆しもない時だ。不意に善法寺が破顔させて笑い声を上げ始めた。 喉元にクナイが突きつけられている状態で、それを顧みずに笑いだすので必然的に彼の白い肌に黒いクナイの先が沈みかけるが、諸泉が慌ててそれを差し引いたため善法寺の首には傷が付かなかった(ただし、諸泉の心中に驚きと疑問を植えつけて行った)。 諸泉は殺そうと思い突きつけた凶器を咄嗟に引いてしまった己の行動に驚き困惑しているのを他所に善法寺は静かに笑い声を保健室の中に飛ばしている。 ようやく落ち着いたのか、一通り笑い終えた善法寺が目尻に浮かび上がった涙の粒を拭いながら「あははは、いやすみません。可笑しくて、」と呟いた。 「だって貴方。本当に僕があの人の心を動かしていると諸泉さんはお思いですか?」 善法寺はまだ可笑しさが収まらないのか、そう言いながらも零れ落ちる微笑が彼の顔を彩っていた。 「答えは簡単です、そう否です。僕があの人の一部に成りうることはありません。ご安心ください」 善法寺伊作は妙にきっぱりと断言して、諸泉を安心させるように言ったが、かえってその自信がありすぎるために諸泉の不審を招いているのに彼は気が付いていないようであった。 「だって考えても見てください、あの雑渡さんですよ?僕なんかよりも長くお付き合いのある貴方なら分かるはずです。あの人が僕のために働く姿なんて、戯れならばまだしも貴方が本気で心配するようなことはけして無いはずです」 「何故君はそう言い切れるんだい」 諸泉は結局目の前の善法寺の言葉の巧みに辛抱できずにそう尋ねた。 まるで根拠でも大ありな程に断言する彼の自信にはり合うかのように。 「だって雑渡さんが言いましたから。『私の命はくれてやれない』と」 そう言って善法寺伊作は自分のために淹れていたお茶を手に取りずずずっと啜った。 呆気にとられている諸泉を他所に、既に淹れてから時間の経っていたそれに彼は舌を火傷するようなことはせずに美味しくお茶を戴いていた。 「それよりも、僕は貴方に対して好感を感じました」 「は?」 湯のみを置いた善法寺がそう言って座ったまま器用に前へと移動して諸泉の方へと近づいた。 顔が触れるか触れないか、そんな距離にまで詰め寄った善法寺が諸泉の顔を覗き込んで、二人の呼吸が密やかに混ざり合う。 「寝不足になるまで彼のために悩まれたんですか?顔色が優れませんね」 善法寺伊作の掌が諸泉の頬を滑り、彼の目を眼球を善法寺は覗き込む。 「良く眠れるお薬お出ししますよ、諸泉さん」 そう言って善法寺伊作は柔らかく微笑んだ。それはただ単純に相手の体調を気遣う保健委員の顔だった。 諸泉はそんな子供の姿に何も言えず、うんともすんとも返事を返さずにただ目の前にある子供に仄かな畏怖の念を抱いていた。 |
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091016