ある寒い冬の話です。
 家屋の外では闇夜を凍りつくような白が舞い踊る吹雪の夜のことです、一人の生徒が保健室で薬を煎じているところに、真黒な衣に身を包んだとあるくせ者が訪れました。
 普通ならばそこで忍者らしく音のない戦闘でも興じるべきところですが、彼らは仲好く向かい合い温かい茶を持って談笑を始めました。
 くせ者の名前は雑渡昆奈門といいタソガレドキ城の忍者隊の組頭で、名前に見合った実力を兼ね備えた立派な忍でした。
 一方、彼の目の前で薬を煎じているのは忍術学園で一番の不運だと称されている保健委員長の善法寺伊作という六年生でした。全く重なる所もなさそうな二人でしたが、彼らはひょんな事で知り合ってからと言うもの、時折こうして言葉を交わし合い談笑するような間柄になっていました。
 暫く、何時ものように月がほんの少し傾く程度の時間おしゃべりを続けていた彼らでしたが、不意に組頭が「もうすぐ卒業だね」と両手で支える湯のみの水面にそんな言葉をポツリと零しました。
 
「本当に忍になるのかい」
「はい」
「向いて無いよ」
「わかってます」

 彼、雑渡昆奈門は目の前の子どもが忍者を目指しているのだという事実を思い出すたびに、忍者だけは向いていないやめておけ。と忠告をしていました。しかし、肝心の伊作は気に掛ける様子もなく、いつもなんだかんだとはぐらかされてこの話題は発展することなく萎んでいました。
 けれど、今日は少し様子がおかしく、普段はそれ以上追及しない組頭が諦めませんでした。

「人を殺すんだよ」
「もう手にかけてます」
「相手だけじゃない。自分だって死ぬかもしれない」
「その時はその時ですね」
「忍術学園の同期と敵同士になるかも」

 今日の組頭を見て、善法寺伊作は薬を煎じる手を休めずに心中驚いていました。
 ぐつぐつと泡を立てながら良いにおいとは言えぬ香りを放つ鍋に目線を落とし、保健委員長は雑渡の言葉を聞きそのひとつひとつに含まれた重みを自己へと吸収させながらしなやかな恐れが心に芽吹くのに気づいていていました。
 しかし伊作はそれを不安には思わずに、小さな笑みを綻ばせて「覚悟しています」とだけ鍋の中へ落としました。
 すると、まるで伊作の言葉を受含んだせいでか鍋の中の泡が急速に萎んでゆき、薄暗い室内に奏でられていたぐつぐつごぽごぽと言った鍋の煮え立つ音たちはあっという間に姿を消してゆきました。
 伊作は鍋の中身を次の段階へと移行させようと、脇に用意していた道具へと手を伸ばします。

「私と戦場で会うかもしれない」

 組頭の言葉が先ほどに比べれば若干煩くなくなった保健室の中に落ちました。
 その言葉は、先ほどまでの音と同じく保健委員長の鼓膜を震わせ男の意を青年へと伝え、その役目を終えると世界から姿を消しました。
 ただし善法寺伊作の中に植えつけられたその言葉は、彼の動きをピタリと止めてしまいます。
 そんな無言で動きを止めた保健委員長を雑渡昆奈門は細くさせた片目で見つめていました。
 どれだけの時間が経ったのか、一瞬ではなかったことだけは確かな間が彼らの間に降り積もり、ようやく伊作がのろのろと視線を持ち上げて組頭を真正面から見据えました。
 まっすぐで淀んでいない双眸を見て雑渡は眩しそうに目を細め、保健委員長の口から紡がれる言葉を静かに待ちました。
 静かに返答を待つ組頭に対して善法寺伊作はたった一言「その時は容赦しません」と、きっぱりと言い放ち雑渡昆奈門を見つめます。

「だからあなたも容赦しないでください」

 彼の言葉に付属された意をくみ取れぬほど雑渡は愚かな人間ではありませんでした。
 組頭は静かに張り詰めていた空気を緩ませると、瞼を伏せて数秒。ゆっくりと視線を上げなおし、残念そうに眉を下げた微笑を殆どが包帯で隠れてしまっている顔に浮かべて、彼の心中を飾ることなく正直に表してみせました。

「本当に止めない?」
「やめません」
「おまえは忍者に向いていないよ」
「もう、決めましたから」

 組頭の言葉は淡々と二人の間に積み上げられていきました。
 けれど、伊作がその言葉の一欠けらでも拾い上げて彼の一部にすることは一度もありませんでした。

「そう。残念だ」
「すみません」

 伊作は雑渡の言葉の全てを受け取ることはしませんでしたが、代わりに心から申し訳なさそうにたった一言の謝罪の言葉を零し瞼を伏せました。
 そんな保健委員長の姿を片目に捉えて、組頭は無言で暫くの間を支配していましたが、不意に彼は真黒な布の下で唇を開いて「伊作くん」と俯いたままの保健委員長に声をかけました。

「私はあまり自分の考えを曲げるということを好まないんだけど」

 静かに顔を上げ男を見返す伊作に、雑渡昆奈門は少しだけ躊躇いがちに言の葉をポツリポツリと紡いでいきます。

「そんな私が物凄く妥協して言えるのはひとつだけ――」

 そう言った組頭は数秒の間を置いて保健委員長の善法寺伊作をしっかりと見据えつつ、不満そうな顔のまま世界へぽしゃりと言葉を吐き捨てる様に言いました

「タソガレドキに来てくれないかな」






sozai(http://skyruins.com/)
091025