「先ほどはどうもお世話になりました」 男は部下が忙しく行きかい会場の設営に励む姿をのんびりと眺めていた。 そんな男の隣に真黒な忍衣装に身を包んだ一人の男が立つ。傍から見れば彼らはタソガレドキ忍者隊の上司と部下のように見えただろう。 しかし、彼らはそのような関係ではなかった。上司や部下でも、ましてや仲間でもない、先ほど戯れにしては少々度の過ぎたチャンバラを興じた者同士である。 「ん、顔の傷はいいのかい」 浮かべた笑みを微動だにすることもなく、この場に居るもので一番のつわものであると思われる男は気安く相手に問いかけた。 殴った相手の傷を心配する男に殴られた本人は先ほどまで浮かべていた涼しげな顔を歪めて、少しだけむっとした様子で隣の男を見ずに憎らしそうに「良くないですよ。どこかの誰かさんが思いっきり殴ってくれましたから」言葉を吐く。 「しかし、それが君の望みだったわけろう?」 男は塞がれた左目の視覚に立っている彼に対してにこやかに話し掛ける。一方相手の青年はやはり不満そうな顔で「まあそうなんですけど」と溜息混じりに言の葉を零して、真黒な頭巾に覆われた頭を掻いた。 「それで?そんな事を言うためにわざわざ傷の上に変装をして私に話しかけたのかい三郎君」 「違います。これ結構地味に痛いんですから手短に言いますけど…」 彼は己の頬をなぞりながらむすっとしたまま男の方へチラリと目線だけ寄越して口を開いた。 「貴方は私のことを伊作先輩に聞いたとおっしゃっていましたが、先輩は確かに鉢屋三郎が復讐に燃えていることを貴方に言ったらしいですけど、それ以上は何も言ってないと」 「そうだよ。伊作君は君たち三人が私に復讐しようとして居ることだけ教えてくれた」 「なら、何故貴方は私のことを知っていたんです?」 鉢屋三郎と呼ばれた青年は作り物の顔ですぅっと目を細め、男の表情を窺う。 彼は人の感情を見ることに関しては、他の人間とは比べ物にならぬ程の自身を持っていた。何故なら、人に化けることを得意とする彼にとって、変装する相手の性質を知らねば完璧な変装が出来ないからである。 そんな青年の心の隙間さえ凝視してしまいそうな眼差しを受け流しながら、タソガレドキ忍者隊の組頭は正面を向いたまま浮かべる微笑を崩さずに言った。 「君が“鉢屋”だからさ」 男の声は楽しげに揺れるわけでもなく、また青年を怖がらせるような威圧的なものでもなかった。 ただ、流れる空気の上に置かれた言の葉だけがあるべき場所へ戻る様に、三郎の鼓膜を通り彼の中へと入って行った。 三郎は男の返答をある程度予測していたようで、特に驚くこともなくその表情に変わりはない。 「何故忍術学園に鉢屋が居るのか気になってね…。鉢屋衆は独自の型に固執して孤立し他とは交らない」 つらつらと言葉を並べ静かな笑みを零す男の本質を探る様に、青年はジッと双眸に男の姿を映し出して口を噤んでいた。 「子供とは言えそんな鉢屋衆の人間が忍たまの育成機関に居るなんて面白い話放っておくには勿体ないと思わないか?」 問いかける様に言葉を投げ捨てた雑渡だったが、どうやらそれに対する返答は端から期待していない様子で、彼はやはり鉢屋の方に目線も向けずに正面を見据えていた。 当然、相手にされていないと感じられる男の態度に三郎は内心憤慨していたが、それを易々と表に出すほど愚かでもなかった青年は緩やかに反撃の狼煙を上げてみせる。 「伊作先輩のためですか」 三郎は雑渡に向けて短く言葉を投げた。 すると、先ほどまでのやり取りで一切微動だにしなかった男の気配が若干色合いを変えた。それは本当に指摘されても気が付けぬほど些細なものだったが、それを見逃す三郎ではなかった。 「伊作先輩に鉢屋の害が及ばぬように。貴方はそれを心配したんじゃないですか」 そう言って三郎は組頭を見ていた。すると、ついに彼の動かぬかと思われた首が軋み声をあげそうな固い動作で動き男のひとつしかない目が鉢屋三郎の姿を捉えた。 三郎には自分を包む辺りの空気が様変わりしたことも、男から滲み出る明確な己への殺意にも気が付いていた。しかし、それでも彼は口の端を吊り上げて深い笑みを浮かべ男に向けて笑って見せた。 「貴方は伊作先輩にとても執着していらっしゃるようだ」 「分かっているなら話は早い。彼を…伊作君を鉢屋の性に巻き込まないでおくれよ?」 男がそう言葉を漏らすと同時に辺りを占める重苦しい空気が一掃された。不覚にも詰まりかけていた呼気と掌に滲む冷や汗に三郎は己が緊張していたことを自覚させられる。 男から感情を引き出して一矢報いたとしても、これでは自分の負けと同じだ―と三郎は男に気づかれぬように歯を噛みしめた。 「もしも伊作君に何かあれば、君が顔を借りていた彼―――」 雑渡がそう言った刹那、辺りを先ほどとはまた色合いの違う冷え冷えとして触れるだけで痛みを生みそうな鋭利な空気がピンっと糸が張る様に辺りに張り詰めた。 男は顔に張り付けている笑みを崩すことなく、逆に一層可笑しそうに口元を歪めた。 ただ包帯に隠されていないひとつ目だけは笑うことなく、己に対して殺さんばかりに殺意を向けてくる子供を興味深そうに映し出していた。 「雷蔵は関係ない」 「君が気を付けてさえくれればいい話だよ。三郎君」 組頭を中心に場の空気が殺伐としたものに変わっていることにタソガレドキの忍びの一部が気が付き始めた頃合いだろう。組頭である雑渡は密に己の方を緊張の面持ちで見守っている部下に問題ないと告げるかのように、三郎が発する殺意に対して身構えていた体制を解きあっけからんとした笑みを浮かべた。 「さ、早く変装を解いて怪我の治療をしてもらったらどうかな。さもないと、悪化して彼との傷に相違が出来てしまうぞ」 「――言われなくとも」 雑渡の様子にこれ以上の探り合いは無用と三郎は考え、張り詰めていた殺気を解き、納得のいかぬ子供の顔のまま自分に微笑みかける男の視線から逃れる様にそっぽを向く。 そのまま立ち去ろうとした彼だったが、不意にあることを思い出し踏み出した足を止め「あ、そうでした。忘れていた、もうひとついいですか」とくるりと身を翻しながら、言葉を紡いだ。 その時には既に先ほどまでのタソガレドキの忍に化けていた名残など感じさせぬほど完璧な変わり身で、先の戦いで打ち負かされた忍術学園の生徒の一人がそこに顔を腫らした状態で立っている。 「なんだい」 その変わり身の早さにタソガレドキ忍者隊の組頭である雑渡も目を丸くさせ、心の中で賞賛の言葉を零していた。 静かに佇み見返してくる雑渡に対して三郎は自身の顔についた傷を指さしてぺこりと浅く頭を下げる。 「雷蔵と同じ傷、付けてくださってありがとうございました」 この言葉に雑渡は思わずポカンと間抜けにも驚いてしまう。 男は確かに、目の前の青年が先に倒した不破雷蔵と言う青年と同じ傷を負うことを望んでいることを知って同じような力具合で殴り付けたわけだが、まさかそれを感謝されるとは思っていなかったわけで、雑渡は本日何度目か目の前の鉢屋三郎に驚かされてしまう(対決の時に、不破雷蔵の傷と同じ個所に攻撃が入る様に周りから見ても違和感がないような巧みさで男の攻撃を誘導させた目の前の子どもに対して雑渡はすでに一度驚かされている)。 あまりにも年不相応の器用さと不器用さを兼ね備えてしまっている目の前の青年に雑渡は若干呆れ混じりに浮かべていた笑みを苦笑で飾りつける。 「君はその年で十分狂っているようだ。鉢屋は皆そうなのかい?」 すると、三郎は腫れあがった顔で不敵にニンマリと笑んで見せて傷だらけの指先でつぅっと男を指さし三日月のように歪めた口先で言葉を刻んで並べてみせる。 「狂気の度合で言うならば貴方も負けてないはずだ、タソガレドキの組頭さん。貴方の噂は人里離れた鉢屋の里にも十分に轟いていましたよ」 「おやおや」 三郎は肩をすくめて「貴方の様な大人にだけはなりたくないものだと子供ながら思わされていましたよ」と言い目を細めて男に笑いかける。 雑渡は変わらず貼り付いた笑みを浮かべたまま三郎に構える様子もなく、のんびりと「光栄だね」と返した。 三郎はそんな男に対して可笑しそうに、皮肉げに乾いた笑い声を転がし「それでは失礼しますね」と笑みを一つ置いて颯爽とその場から姿を消してしまった。 そんな子供の姿を見送った後、音もなく背後に現れた部下が「始末しますか?」と問いかけてきたのに緩やかな静止をかけ、それよりも殿を迎え入れる会場の設営を急ぐように雑渡は部下に指示をする。 「将来が楽しみだねぇ」 どんな化け物になるのやら―。雑渡は知らず滲み出る微笑を浮かべたまま、脇で騒ぐ忍術学園の生徒たちの姿を眺め眩しそうに目を細めた。 |
sozai(http://swordfish.heavy.jp/blue/index.html)
091107