アスファルトに広がる街灯の足跡 |
酷い雨の晩のことだ。 バイトが終わり雨のために移動手段が徒歩だった俺は、普段は自転車で通るには勾配が辛くバイト終わりの身には辛いのでいつも通らない街灯もあるにはあるが申し訳程度の明るさで心もとない道を進んでいた。 日が変わってしばらく経った時間なので辺りは異様に静かで、シトシトと降り続く雨は辺りに薄気味悪さを醸し出していた。 早く家に帰ろうと不慣れな道を足早に進む。 別にビビっているわけではない。ただ明日だって講義が午前中からあるのだ。早く帰って布団に入りたいのが本音だ。 ビニール傘の下で重たい瞼と格闘している俺の耳に不意に不審な物音が届いた。俺はその音に驚いて思わず腕にぶら下げている先ほど寄ったコンビニの袋をガサリと鳴らして、足を止める。 警戒を強め暗がりの中、音の根源を探そうと目を細めて降り注ぐ雨の合間を縫い前方を睨むように見据えた。 結果、人よりも視力が良い俺の目が捉えたのはチカチカと切れかけた街灯の明かりの下にしゃがみ込んでいる一人の青年だった。 彼は小降りとは言えない雨の中傘もささずに、全身をずぶ濡れにさせて暗雲広がる夜空を見上げている。 一瞬、不審者かと思い近寄らぬべきか否か悩んでいると、不意に彼の目に視線が向いて息を呑む。 ただ、純粋に彼の目に惹かれた。 理由は分からないが、こんな経験今までの人生で初めてであった。見惚れるほどの何らかの魅力が彼の沈んだ相貌にあるのだろうが、俺にはそれに名前を付けてやれるほど人生経験が豊富でも無かった。 そんなことを考えている内に、空を仰いでいた青年がゆっくりと頭を下ろす。 当然ながら彼を見つめていた俺を彼も視野の中に捉え、必然的に俺達の視線はぶつかり合い混じり合った。 先ほどまで、降り注ぐ雨粒を見上げ星のない夜空を見ていたあの瞳が俺を見ている。俺はそこから目が離せない。何かに魅せられた様に俺は彼の目を見つめ続けた。 僅かに、彼の表情に苦味が交る。そこでようやく俺は解放されたかのように、彼に見入って微動だにしなかった脳味噌が動き始める。 俺の不審な行動についてなんと言い訳しようか。あなたを見つめていたのは別に故意的なものではないんです――と言い訳しようと口を開くが、発すべき言葉が見当たらず開いたままそこから音は一向に発せられない。 紡ぐべき言の葉も見つからぬままうろたえていた。しかしそんな己の内心とは裏腹に、俺の足は一歩二歩と彼の方へ歩んでいく。 彼は自分に近づいてくる俺のことを気だるげに見上げている。 夜が降り続く雨に溶け滴る中、俺は自分を守るビニールの貧弱な腕の中に埋まっている彼の身体を迎え入れる。安い透明のビニール傘の許容範囲は狭い。当然、前に傾けた傘からはみ出た俺の背中に暗闇から零れ落ちてくる雨の滴が冷たく沁みていく。 俺は自分の行動に困惑していた。なんで見の知らずの野郎が塗れぬように傘の中に入れてやっているのかも、第一今更と言わんばかりに相手はずぶ濡れだ。 彼は何の感情も見えぬ二つの瞳で俺の姿を捉え何も言わない。 「傘、差さないのか?濡れちまうぞ」 「もう濡れている」 自分で何を言っているんだ、と思ったが予想を反して目の前の彼から返事が貰えた。 思っていたよりも高めの声に心臓を大きく跳ねさせて、俺は更に余計な御世話としか思えないような言葉を紡いでいった。 「風邪ひくんじゃないか」 「別にいい」 「よくないだろ」 掠れた声を出す彼に、俺は傘を差していない方の腕に引っ掛けてある袋を傘を持つ腕へ移動させ「ほら、手出せ」と開いた掌を蹲る彼の前へ差し出した。 彼は不思議そうに首を傾げたものの、大人しく俺の掌の上にぽんと手を置いた。 自分で促しておいてなんだが、こんなに素直に言われたままに行動して大丈夫なのかと心配が心の中を過るが、それを振り払うように彼の冷え切った掌を握りしめてぐぃっと引っ張り上げる。 すると、彼は俺の行動をある程度予想していたようでふらつきながらも濡れそぼった前髪から滴を散らして立ち上がって、俺を不思議そうに見返していた。 「あったかい茶ぐらい飲ませてやるよ」 そう言って彼と自分を小さな傘の中に押し込めて、つないだ手を引きながらアスファルトに撥ねる雫の上に足跡を付けていく。 隣を歩く彼は俺の方をまじまじと興味深そうに見ながら「お前変な奴だな」と掠れた声で言う。 「電柱の下に猫とか捨ててあったら拾うタイプだろ」 「良く分かったな」 「私が今拾われてるからな」 彼の言葉に正面を向いていた視線を彼の方へと流す。 先ほどまで空を見上げていたあの目がすぐ近くで、雨に阻まれることなく薄暗い夜を裂いて俺を見つめていた。 不意に心の中に彼に疑問が詰められた巾着袋を大きく広げたい衝動に駆られるが、僅かに開いた唇から彼を呼ぼうとするが、ここで初めて一つの傘の下で歩む隣の彼の名前を聞いていなかったことに気がついた。 「お前、名前は?」 「さぶろう」 短く名前を紡いださぶろうは僅かに好奇心を潜ませた双眸で俺を見返して「そういうあんたは?」と、尋ねてきた。 此方を見つめる双眸にどこかくすぐったさを感じ、しらっと目線を彼から逸らして俺はポツリポツリと続く街灯の仄かな明るさを眺めながら「そうだなぁ」と呟いた。 「俺のことはハチとでも呼んでくれ」 シトシトと降り続く夜の雨に言葉を滲ませ俺は家に向かって歩く。 隣の三郎も、俺に倣って無言で歩み続けた。 二人の足はリズムを刻むように、アスファルトの上に広がる雨の絨毯を靡かせる街灯の光を踏みながら静かに進んで行った。 |
sozai(http://nobara.chu.jp/sss/index.html)
091113