「先輩、まずいんじゃないですか?」 「なにがだい、庄左ヱ門」 薄らと不敵とも言える笑みを蔭ながら浮かべる委員会の先輩でもある鉢屋三郎に対して、彼はそう言った。 口調は居たって冷静。言葉の意味とは裏腹に、彼の表情は全くまずそうに歪んでなどいない。 「火薬委員と共に帰っているこの状況です。追手が居るかもしれないのに、こんな悠著に…」 そう言って彼は初めて顔を上げた。 彼が見上げた先にあった先輩の顔は普段と変わらずひょうひょうとしたもので、そこに潜む真意を彼はまだ見抜けない。 相手が上級生ということもあるが、それ以上に彼の隣を歩む鉢屋三郎は学園内でも随一の優秀(?)な生徒だ。 一年生ながらも評価の高い庄左ヱ門とは言えど、隣を歩む鉢屋三郎を理解するにはまだ力量不足が否めない。 「なぁにいつだって焦ってばかりじゃ見えるものも見えなくなるし、本来の力も出し切れないぞ庄左ヱ門」 笑いながら前を歩む四人には聞こえぬ声量でそう呟いた鉢屋は、ゆっくりと視線を横の庄左ヱ門へとおとして、目があった彼へとウィンクをひとつ飛ばして見せた。 「それになにより三人より六人の方が心強いじゃないか」 「先輩それは彼ら三人を巻き込むつもりで――」 呆れたように庄左ヱ門がそう言った時だった。明らかに非日常的な殺意が彼らの周りを取り囲む。 それに真っ先に反応したのは、こうしたことを想定していた鉢屋三郎と、もう一人――― |
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学級委員の三人と、火薬委員の下級生に委員長ひとり。計六名の忙しい呼吸が田んぼに囲まれた馬車がひとつ通れるぐらいの道で溢れていた。 「なんでこんなことになったんだろうなぁ、お使いに出て、ばったり学園の仲間に出会い一緒に帰っているだけなのに。あーどこでヘマしたんだろう。なぁどう思う?」 「口じゃなく足を動かせ三郎」 ひとつの集団が駆けていた。両端だけ背が高く、中は極端に低くなっている。つまり中の集団は実力のない幼い下級生。一番端の右を駆ける三郎と呼ばれた少年。逆に一番左手を走る同世代の少年。彼の名前は久々知兵助という。 流石に忍術学園の上級生でもある彼らの息は会話に差し支えるほど乱れては居ないが、それでも言葉を交わしあうという行為は体力を使う。それを危惧した兵助がぼやく三郎を諌めるが、変わり者と名高い鉢屋三郎にはその言葉は通じない。 「一番この場で余裕のある私が、息も切れ切れで走る皆の心を代弁して話しているんだがこれは不要か?」 「不要だ」 「はは、怖いぞ兵助」 肩を竦めてふざけた調子で言葉を発した三郎に、兵助がふざけるなと一喝するため口を開いた時だ。背後から飛んできた空を切る刃の音に三郎と兵助が同時に振り返り懐から取り出した手裏剣を放つ。 三郎が放ったそれらは、彼らに向かってきていた手裏剣にぶつかり互いが弾きあいそれらは無意味に地面に落っこち、それらの脇をすり抜けて兵助が放った手裏剣は、放たれた手裏剣の主の元へと飛んでいく。 背後に敵の気配を確認しながら、既に正面に向き直っていた三郎が「あぶないあぶない」と変わらぬ調子で肩を竦めていた。 そんな三郎に兵助は眼光を鋭くさせて「ふざけているからだ」と一喝する。そのドスの聞いた声音に彼らの合間で言葉もなく走っている下級生が若干おびえるように顔を青くしていた。 『おいおい兵助、もうちょい押さえろよ。大体、私までお前みたいにピリピリしていたら下級生が不安がるだろ?』 兵助と三郎の間だけで飛び交う特殊な言語でも、三郎は茶化す様子を崩さずにあくまで普段通りに振舞っていた。 『三郎』 『なんだ』 『俺が足止めするから、下級生を連れてお前は逃げろ』 下級生には聞こえぬ声でそう言った兵助に、三郎は僅かに目を見開き直ぐにそれを隠すと、不快そうに眼を細めてちらりと隣を走る兵助を睨みつけた。 『なにかっこつけてんだお前。それにそういうのは伊助や三郎次が不安がるぞ』 兵助が担当している委員会の下級生の名を紡ぐ三郎に対して、兵助は動揺する素振りも見せずに正面を見据えて足を動かしていた。 『かっこつけてるんじゃなくて、最善の策を選んでるだけだ』 『なら私が残ろう、学級委員の二人はしっかり者だから私が足止めに名乗り出てもうろたえないだろう』 『その言い方だと火薬委員の下級生が怖がりみたいに聞こえる。訂正しろ』 『はいはい、悪かったよ』 たいして悪びれない様子で謝罪の言葉を吐いた三郎だったが、兵助がその調子に合わせて冗談を言うこともない。 友人の緊張の走る様子に三郎はひっそりと溜息をつき、辺りを探る。追手が数名、なんらかの手を仕掛けてきそうであると彼は肌で感じ取っていた。 『俺よりも、三郎の方が適任だ』 「・・・」 『――下級生を守り庇いながら進む、足留めの役目よりも難しい。それをこなせるのは俺よりお前だと俺は判断したから。だから俺が足留めに残る』 その言葉に三郎は、先ほどまでのふざけた様子など微塵も見せない瞳で兵助の姿を捉える。 長い付き合いだ。兵助の顔を見れば三郎は観念するしかなかった。 はぁっと重々しい溜息の後、重苦しい空気を拭い去るように三郎は声をあげて笑った。 「…恰好つけめ。ったく、余り長引かせるなよ?」 「了解」 突然始まった先輩の会話に間に挟まれた下級生は疲れた脳味噌では理解が追い付かず、困惑気味な面持ちを浮かべていた。 そんな彼らに三郎がニヤリと笑みを深めて、彼らの知らぬ間に取り決められた決定を告げる。 「おい、お前たち、これから兵助が時間を稼ぐ。その間に逃げるから、覚悟を決めろよ」 「えっ、な」 「ど、どういう―」 当然、彼らは戸惑った。突然の言葉、理解が追い付かぬ先輩からの作戦ともいえない作戦。 「三郎についていけば大丈夫だから。いいな?」 「けどっ」 兵助が火薬委員の下級生を納得させるように言葉を投げかけるが、それでも彼らの困惑は続く。 それを強制的に断裂したのは三郎だった。 「はいはーい。喋ってる体力は無いぞ。ほら、走る走る」 兵助と下級生の間に入り息の上がりかけている小さな背中を押しやる。 強制的に会話を終わらせられた下級生、特に二年生の三郎次は納得がいかない様子で「久々知先輩っ」と掠れた声をあげた。 そんな彼らをしり目に、兵助は三郎の顔を見る。 「三郎、任せたぞ」 「ああ」 三郎の返事を聞くと、途端に兵助はその場で足を止めた。三郎の足はそのまま動き続ける。 泣き出しそうな火薬委員の下級生の背中をそっと三郎は押して駆ける。三郎は後ろを振り返ることはしなかった。 |
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逃走劇から時間がたち、既に日が暮れかけた夕暮れ時のこと。 学園の門付近でどなり声がひとつ、橙色の空へ突き上がった。 「なんで、なんで久々知先輩を置いてきたんですっ!」 「落ち着け三郎次」 果敢にも背丈の違う先輩に詰め寄った二年の三郎次の声だった。 彼に詰め寄られている鉢屋三郎は彼とはま逆にひどく落ち着いて、彼を宥めている。ちなみに彼らの傍らで同行していた一年生の三名がオロオロとどうしていいのか分からず困惑顔を浮かべている。 三郎次は三郎のそんな様子が気に食わないのか、悔しそうに顔を歪めると三郎から離れひとり門の外へと向かって歩き出した。 「あ、どこに行くんですか?」 そんな先輩の姿を不安そうに眺めていた一年生の伊助がその背中に向かって声をかける。 三郎次は苛立った様子で「久々知先輩を迎えに行く」とだけ言った。 火薬委員のやり取りを眺めていた三郎が消して慌てる様子もなく「やめておけ」とだけ、淡々と言葉にした。 それを受けて、三郎次がカッとした様子で勢いよく三郎の方を振り返った。 「鉢屋先輩は久々知先輩が心配じゃないんですか」 張り上げた声が夕暮れ時の学園に響き渡る。 三郎は下級生の責めるような鋭利な声にたじろぐこともなく「ああ」と淡泊な返答。 「っ鉢屋先輩がそんなに薄情な人だとは思いませんでした!」 「池田先輩っ!」 ドカドカと荒い歩調で外へと向かいだした三郎次を追いかけて伊助も門へと向かっていく。 しかし門には事務員が居た。彼は空気を読まず出門書の手続きを、憤怒した生徒へ強要していた。 いざかいが起こりそうなほど、刺々しい雰囲気の二年生の姿を眺めながら、先ほど怒鳴り散らされた五年生の鉢屋三郎は感心するように腕を組んで彼らの姿を眺めて頷いていた。 「兵助は愛されているなぁ」 「…そうですね」 三郎の独り言に返事をしたのは三郎と同じ委員会に所属する一年生の彦四郎だった。 「なあ、彦四郎に庄左ヱ門。もし逆の立場で私が足留めし、まだ帰ってきていなかったら、お前たちも私を心配してくれるかい?」 「いいえ」 短く即答したのは庄左ヱ門。 返答の意に対してきょとんとした三郎を見上げて、徐に口を開いて返事をする。 「鉢屋先輩ならどんな状況でも無事に帰ってくると知っていますから」 「確かに鉢屋先輩の場合、心配するだけ無駄です」 「はは、二人ともかっこいいなぁ」 三郎は大きく笑い、下にある二つの頭を無遠慮にわしゃわしゃと撫でまわした。 二人が講義の声を上げている最中、出門書に記入を終えた二人のためにと門が開かれた。ちょうど、その時だ。開いた門の先にある橙色の世界に伸びるひとつの道にポツンと小さな影が見えたのは。 「久々知先輩!」 その姿を見つけた途端、弾かれたように火薬委員の二人が門を飛び出して橙色の中を走りぬける。 「お、帰ってきたか」 友人の帰りを知った三郎はのろりと緩やかな歩調で門へと進んだ。 外に出るにはサインをわざわざしなくてはならない、それが面倒なのか三郎は門の中からボロボロの友人が学園に戻ってくる姿を気だるげに眺めていた。 「おかえり兵助」 「ああ、ただいま…」 下級生を連れて門をくぐった友人の姿に三郎は頬を緩め笑みを浮かべて見せる。 至る所に血を滲ませた兵助はそんな三郎を見て、ゆっくりと近づく。 「とりあえず、三郎」 「ん?」 視線が、二人分。夕闇の中でバチリと絡み合う。 三郎が兵助の顔を見て「あ、」と気づく。 「一発殴らせろ」 言うや否や、兵助は負傷しているとは思えぬほど機敏な動きで三郎に殴りかかっていた。 それに驚いたのは彼ら二人のそばに居た下級生の面々である。当の本人である三郎にしては面白そうに笑いを転ばせながら迫りくる拳をひょいひょいと避けていた。 「おっと!どうした兵助。いきなり殴りかかってくるなんて?いつも冷静な優等生の姿はどこに―」 三郎は可笑しそうに口の端をつりあげながら、片眉を歪めて迫りくる拳を振るう兵助に言葉を投げかける。 そんな三郎のひょうひょうとした様子が気に食わないのか、兵助は額に青筋を浮かべて、痛むであろう身体を怪我を思わせない軽快な動きで三郎に迫っていた。 「今回の件、お前のせいで俺はともかく、伊助や三郎次まで巻き込みやがって!」 怒気で彩られた言葉が音の刃となって三郎の鼓膜を震わせ、空気を裂く様にして放たれた拳が三郎の顔面へ。 三郎はそれを避けず、片手を使い手の平で拳を受け止めると首をかしげて兵助の怒りに染まった顔を覗き込む。 「ん、なんだ。もしかして兵助今回の一件、もうなにがなんだか把握してる?」 「大凡、な!」 弾いた言の葉に兵助の身体が動いた。 密接した状態で、兵助は膝を蹴りあげ三郎の腹部を狙う。 しかし、それをある程度予想していたようで三郎はパッと、受け止めていた兵助の手を離し後ろへ飛びのき蹴りを回避。 「おいおいまず私を殴る前に手当てだ。無傷じゃないんだろう?」 「いいから殴らせろ!」 あくまで逃げる三郎に対して兵助は静かな怒りを迸らせて三郎を一発殴らないと気が済まないと言わんばかりに飛びかかってくる。 しかし、三郎に大人しく殴られてやる様子は無い。彼は付き合ってられないと言わんばかりに肩をすくめて見せると、そのままひょいっとその場から逃げるように駆けだした。 「あ、待て三郎!殴られろ!」 あっという間に角を曲がって姿を消した軽快な足取りの鉢屋三郎の背中にボロボロの久々知兵助の声が怒鳴りつけられる。そして負傷を周りに思わせない俊敏な足取りで友人の姿を追って消えていった兵助。 その場に残された下級生と門番の事務員だけが、ぽつりと夕闇の中に伸びる影と共に、彼らが連れ去った喧騒を言葉なく見送っていた。 |
sozai(http://swordfish.heavy.jp/blue/index.html)
10/02/06