鉢屋三郎と言う子供は不可思議な体質の子だった。彼の生まれた血族の者は世の中に蔓延る『穢れ』を視ることのできた。個人によりその力の大小に変わりはあったが、三郎は一際大きな力を持っていた。 それは彼のもつ特異な体質のせいかは定かではないが(何かしら要因が重なり相互が関連しているであろうことは薄々と察しては居るが)三郎が鉢屋の中でも飛びぬけて『穢れ』に対する力を持っていることだけは確かなことであった。 鉢屋三郎は現在忍術学園に通っている身であった。忍とは因果な仕事である。人の命を奪い血を浴び呪いの言葉が知らぬ内に魂へと塗りこめられ呪われる。そうした影に生きる忍は本人が知らぬ合間に『穢れ』を背負い汚れていた。通常、ただの人間ならばそれは視えない。視えないと言うことはそんなものは存在しない、とも言い換えられる。凡人は『穢れ』を知らず生きていく。それはこの忍が生活する忍術学園でも同じであった。 三郎は先ほどすれ違った教員の体に纏わりついていた『穢れ』の濃さから目を逸らすこと無く、ただチラリとそれに目を奪われながら何食わぬ顔でその隣を通り過ぎた。 学園内には正真正銘の忍である大人が多くいた。彼らはその背に、その腕に、その足に、その瞳にどろりとした『穢れ』を纏い生活をしている。しかし、彼らは自身の身に纏わりつくその醜いものを拒絶することはない。彼らは総じて『それ』が視えないからだ。視えぬものだから、それを嫌悪することも、忌むこと、祓おうと血眼になることもない。何せ認識してすら居ぬのだそれは不可能に近い。 しかし、鉢屋である少年には教師に掛かる靄のような穢れが見えていた。教師のあとを付きまとっていたその靄が幽かだが先ほど三郎が教師とすれ違った折にゾワゾワと三郎の方へと移ってしまっていたことも三郎は気付いていたし、己の身にずっしりと圧し掛かる見えない重さに嘆息を落とすことも忘れなかった。 三郎は人よりも穢れを寄せ付けやすい体質をしていた。それが鉢屋の血なのか、それとも彼自身の生まれついての特異な性質のせいなのか、それは本人すらも分からなかった。ただ自分が寄せ易く、多くを抱えられると言うことだけを三郎は知っていた。 寄ってきたきたそれは弱いもので、三郎ならば手で払いのけてしまえば済むのだが、そうすると他の弱いものへと移ろってしまう可能性もあり三郎はその微弱な穢れを自身の身に宿してやり、溜息を零して廊下を進んだ。 そうして今日の昼御飯は何かとぼんやり思考に耽りながら鳥のさえずりのひびく廊下を歩んでいると前方からトイレットペーパーがやってきた。否、包帯を抱えた保健委員の善法寺伊作である。 三郎は思わず足を止め正面の彼を見た。 包帯を山のように抱えて前が見えて無さそうな彼に驚愕してではなく、何時もの如く全身にびっちりと濃い『穢れ』を連れているその姿に呆れにも似た同情の感情は三郎の足をとめた。 常人ならば発狂し、狂いながら死んでいくような『穢れ』だった。 鉢屋三郎は、彼こと善法寺伊作があまり得意ではなかった。 「こんにちは善法寺伊作先輩」 「ああ、その声は鉢屋かい?こんにちは」 「大荷物ですね、がんばってください」 「はは『手伝ってあげましょうか?』とは言ってくれないんだね」 「私はこれから食堂に行ってうどんを食べるという重大任務があるんです」 「そうかい、それはそれは」 善法寺伊作は大量の医療道具を抱えたまま笑みを滲ませて三郎の隣を、道具が転がり落ちないように気をつけながらすれ違う。 三郎は道を譲りながら善法寺伊作を見た。否、正確には善法寺伊作に纏わりついている『穢れ』がざわめいたのを視た。まるで鼓動を打つかのようにゾワリと身じろいだそれに、嗚呼っと三郎が思った瞬間、善法寺伊作の手から包帯がひとつ転がり落ちてその白を不幸な保健委員が思いっきり足の裏で踏み潰し身体のバランスを崩した善法寺伊作は「うわ!」と声を上げながら前方に倒れ込んだ。むろん、彼の抱えていた医療道具をばらまいて。 廊下に受け身も取れずすっ転んだ善法寺に三郎は嘆息をひっそりと零す。善法寺伊作の背中で『穢れ』がザワザワと彼をあざ笑うかのように身を捩っていた。 そんなことも知らず善法寺伊作はハハハと乾いた笑みを顔に乗せ赤くなった鼻先を気にすることなく、転がって行った道具をひとつひとつ丁寧に拾い上げていく。三郎はそれを手伝うそぶりは一向に見せず、ただ善法寺伊作の行動を眺めていた。 大半の道具を拾い上げた善法寺がくるりと振り返り三郎を見た。三郎の足元にもひとつ包帯の束がコロリと転がって止まっていた。善法寺の目は三郎にそれを拾ってはくれまいかと言っていた。それを察した三郎は無言でそれを拾い上げて善法寺へと近づく。三郎は本当は彼に近づきたくなかった。 「ありがとう鉢屋」 カランコロンと、鈴でも鳴りそうな笑顔で三郎が差し出した包帯を受け取った善法寺に三郎は苦笑を返した。 不意に三郎は自分の肩を見る。そこに圧し掛かっている『穢れ』。ズズズっと重たい身体を引きずるようにしてそれは動いていた。善法寺伊作の方へと徐々に徐々に、距離を縮めて近寄って、まるで借り宿を乗り換えているようだ。 三郎は何気ない顔でその『穢れ』の尾を掴んだ。それ以上目の前の不運委員へと近づかぬように、乗り移らぬように悶えるそれを強引に引っ張って引き戻す。『穢れ』が不服そうに身をくねらせ三郎の手の中で暴れた。 「どうかした?鉢屋」 「いえ…ちょっとこっちのが先輩に憑きそうになって…」 「あはは、そっかーなんで僕は好かれてしまうんだろうね」 善法寺伊作が笑う。鉢屋三郎もつられて苦笑する。 三郎の目の前に居る不運で不幸な保健委員長は稀有な人間だった。彼は鉢屋の名をもつ三郎よりも『穢れ』に好かれていた。好かれすぎて、とりつかれ過ぎて、三郎から見れば何故彼が今も健全に呼吸をし笑い生活を営んで入れるのか不思議で仕様がないほどだった。 善法寺に三郎が初めて会った時など、彼が抱えていたものがあまりにも不吉で邪悪で恐ろしいものすぎて、視えてしまった鉢屋三郎は思わず体面も何も気にする余裕無く一目散に逃げ出したほどだった。 「あ、時間がないや。それじゃぁね、鉢屋」 「はい。先輩も気をつけてください」 いそいそと三郎に背を向けて去っていく善法寺を眺め、彼に憑いてまわる『穢れ』を眺め、十歩も歩かぬところで再び足を縺れさせて転んだ善法寺を眺め、彼の背で蠢くそれを眺め、鉢屋三郎はやはり嘆息を吐いて、素知らぬふりをして踵を返した。 異様で異質な光景に三郎はすでに食欲をすっかり失ってしまっていた。 |
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090418