書物を開き目線は文字を追っているようで、全く動かぬ眼球を双眸に収めていた善法寺伊作が悩ましげな仕草で顔を上げ、彼自身の目の前に腰を据えているくせ者に向かって口を開いた。

「雑渡さん、雑渡さん」
「なんだい伊作くん」

 くせ者であるタソガレドキ忍者の組頭である男は、伊作が淹れた茶をすすり飲みながら返事をする。
 学園の保健室で恒例となりつつある絵図らの二人である。

「貴方は僕を好いていると言いましたね」
「うん、言ったよ」
「それでは、これを飲んでくれませんか?」

 普通ならば引っ掛かりを覚えるようなどこか癖のある言葉を言い合ったのち、伊作はおもむろに懐からひとつ、分包された粉薬を取り出した。
 くせ者の男はそれを手のひらで受け取って首をかしげて見せた。

「伊作くん、これはなんだい?」

 雑渡の疑問の声は最もであった。
 しかし、それに答えた伊作の言葉は「貴方の愛を確かめる秘薬です」と、冗談のようなものであった。
 だが、雑渡はそんな彼の答えにうっすらと目を細めて目の前の忍のたまごを愛でるように三日月のように細い瞳にその姿を映して微笑んだ。

「嗚呼、ごめんよ伊作くん。確かに私は君を好いているが、私の命は君にあげることはできないんだよ」

 そう言った男は、丁寧な仕草で掌に置かれた分包された薬を伊作に向って返してやる。
 床の上に置かれ拒絶された薬を伊作はじっと顔を下げて見つめていたが、しばしすると重々しい息を吐き出してその薬を元の懐へとしまい直した。全身から残念と言った雰囲気を醸し出しながらガックリと項垂れ「矢張り駄目かー」と溜息を零した。

「先ほどから何を悩んでいるんだい?」

 伊作の様子を見かねたくせ者は優しげに問いかけ、そんな雑渡に向かって伊作は不貞腐れたような面持ちで、頬杖をついてぶつぶつとぼやいてみせた。

「試したいんですよ、この毒が強い毒に耐性があるプロの忍に対しても有効であるのかどうか」

 先ほどまで薬だと豪語していた物の正体をはっきりと、惜しげもなく口にしながら伊作は悪びれもなく言い放ち、はぁっとまた溜息を零す。

「雑渡さんのお茶に混ぜようかとも思ったんですが、それよりも貴方になら直接頼んだほうが勝算はあるかと思ったんですが―」

 そう言って伊作は伏せていた目を持ち上げて、チラリと目の前の忍装束をまとった男を見て、再度大きくため息を零し「駄目でしたね」とぼやいた。
 伊作の落ち込みようを見ながら雑渡は顎に手を当て「ふむ」と思案するように顎の先を指先でなぞりあげる。

「確かに私の命をその毒の被験体として差し出すことはできないが、私なら代わりを用意してあげることができるかもしれない」

 雑渡の言葉に先ほどまでの落ち込みようが嘘かのように伊作が勢いよく顔を上げた。勿論、隠しきれぬ喜びに彩られた満面の笑みである。

「本当ですか?」
「もちろんさ、他でもない伊作くんのためだからね」

 キラキラと目を輝かせる伊作を見ていた雑渡はまるで自分のことのように彼同様に嬉しくなり、気付けば自然と目を弧にさせてニッコリと微笑んでいた。



 * * * 



「さ、約束のものだよ」

 後日、学園にやってきた雑渡に連れられてやってきた学園から少し離れたところにある山小屋に案内された伊作の目の前に転がっているのは濃厚な血の臭いを纏った黒い忍装束を纏う男であった。
 目を丸くさせる伊作を隣に雑渡は「ここまで運んでくるのには骨が折れたよ」とご満悦そうに言い放った。

「この方は?」
「タソガレドキ忍者の敵さんだよ」

 ふふふ、と雑渡は鈴を転がすように笑いながら小屋の床に転げている忍をぞんざいな仕草でドンと蹴り転がした。すると、舌を噛まぬようにはめられている忍の猿轡の奥からくぐもった殺意の声がこぼれ出す。
 忍の隠しげも無い殺意に伊作がひるむわけでもなく、ただ眉を寄せてポツリと「…なんだかとても悪いことをしている気持ちになってきました」と言葉を濁した。
 そんな伊作に隣に立つ雑渡は伊作の何かを見定めるように可笑しそうに目を細め口元を歪める。

「今更だね。やめるかい?」

 雑渡の口から零れ出た音はひどく優しげな声音だった。
 しかし、その声に施されたのは少年の同情心や背徳心ではなく――

「いいえ、折角の新鮮な被験体です。そんな勿体ないことしませんよ」

 純粋な好奇心だった。








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090618