天井はスカイブルー。けして人工めいた暗闇に浅はかに光るほの暗き星の姿などはない。人類では到達できないような穢れ無き鮮やかでいて寂しげな空色が今日もお日柄よく俺を見下ろしている。 学校の屋上、圧迫感を否応なしに与える無機物の鏡ともいえるほど無表情なフェンスに囲まれたその空間で俺は制服が汚れることも厭わず広いその場の一角に小さく築かれた影の区画で寝転がっていた。 見上げる先は残暑の面持ちの欠片すら見いだせない晴天、乾いてすかすかの俺の心には緩やかで和やかな夏風がそよいで通り過ぎていった。 「おい、サボりの兵助」 「なにか用かよ、同士」 なんて声とともに俺の視界が陰る。 寝転がっていた俺の目の前を塞ぐ形でこちらを見下ろしてきた顔は見知った相手のものだ。 「珍しいな、優等生のお前がいったいどうしたんだよ」 彼はそう言うと、俺の視野の中から突如として姿を消した。 目玉を横に動かせば彼が屋上のアスファルトを踵を踏み潰した汚らしい上履きで踏みしめながらフェンスの方へと向かっていっているのが見えた。 「別に。そういうお前は?今授業中だぞ」 ゆっくりと上半身を起こしながらこの空間の端っこまでたどり着き足を止めた彼の背中に言葉を投げかける。 すると、彼はガシャンと音を立ててフェンスに背中を預け俺に向かってニヤリと不敵な笑みを浮かべて見せた。 「俺がサボるのは珍しくも無いだろ?なんたって学校一の問題児鉢屋三郎だぞ」 胸を張る勢いで言い張って見せて、どこか誇らしげなまでの三郎の様子に呆れながら「威張るなよ」と突っ込みを入れてやる。三郎はそんな俺の反応に嬉しそうに目を細めた。 その目が、その顔が、その口が、まるでなにかを静かに俺に訴えているように思えて、弱気な俺はそっと三郎から視線を外して再び青い空を見る。 そんな俺に三郎が小さく澄んだ声音で「へいすけ」と名を呼んだ。確かに小さく過細い音だったが、二人しかいない俺達だけの空間ではやけに大きく響いて聞こえた。 ゆっくりと空色を映し出していた瞳の中央に三郎の姿を捉える。彼はまだ浮ついた笑みをその顔に貼り付けたまま俺を見ていたが、そんな彼が不意に大きく腕をしならせてこちらに何か投げてよこした。 「ほらよ、」 緩やかな放物線を描いて三郎の手から放たれた小さなソレが宙を舞い俺のもとへとやってきた。 慌てて受け取ると、それは全身汗だくになった一階のラウンジにある自販機で販売されている紙パックだ。ちなみに豆乳である。 「お疲れな優等生にやるよ」 そういって笑う三郎の手にはもう一つ紙パックが握られている。どうやらそちらはストレートティーのようだ。 俺の手の中に納まっている小さな箱と同じく全身に雫を着せられているかのような姿。骨ばった指先がストローをつまみ上げパックに差し込んだ。三郎はストローに口付けて、日に焼けていない白い喉がこくりとわずかに上下する。腕には持ち上げたパックから流れ落ちた雫がゆっくりと垂れていく。その艶かしい流れを目で追いながら俺は残暑の日差しに焼かれる。 まだ、しぶとく生き残っている蝉の奏でる重奏に頭の奥が病んでいくように痺れるのを感じながら、その嬌艶的な様に目を奪われそうになりながら、ふいっと視線をそらして呟く。 「そっちがいい」 三郎が俺の言葉に眉を寄せたのを俺は気がつかないふりをしてチラリと彼の動向を窺う。三郎は口に含んだストレートティーをごくりと飲み下し、数秒の沈黙。しばしの間を挟み、彼は傲慢な仕草でフェンスから背中を離して歩を進める。 「ったくしょうがねぇな……ほらよ」 屋上で太陽に焼かれるアスファルトの上に座る俺に三郎は近づいて、既に温くなり始めていた紙パックをひょいっと摘み上げると、彼自身の手の中に納まっていたアイスティーが代わりに差し出された。 三郎の手から差し出されたパックを受け取って、おもむろに口付ける。三郎の手のひらの熱が移った紙パックは妙なぬるさを感じさせたが、中の液体はまだ冷たさをかろうじて保っており、己の体温よりも冷えた液体はじわりとこちらの身体に染み渡るように胃の中へと流れ落ちていった。 そういえば、これは先ほどまで三郎が飲んでいたものだと考えて、もしかして間接キスじゃないか。と青臭いことを考えてみる。悪くないと思った。 「…なんだよ。じっとこっち見て」 俺の手から交換にわたっていった豆乳を飲んでいた三郎の横顔が不意にこちらに振り向いて、俺は思わずパックの中身を吸う作業を停止させてしまう。 しかし、すぐに我に返って暫し三郎の姿を見つめてぽつりと小さく口を開き言葉を零した。 「今のお前とキスしたら最高に幸せだろうなって」 心の中に生まれた言葉をそのまま舌の上にのせ、喉で音を震わせて、唇で綺麗に刻みながら青空の下へと飛び出させると、三郎はきょとんと目を大きく丸め訳が分からないとその目で語っていた。 「豆乳味のちゅーだろ?」 「ちゅーとか言うな。その顔で」 三郎の手の中で豆乳のパックが見る見るうちに萎んでいく。最期に行儀の悪い音を奏でるとぺしゃんこになったその箱を三郎は俺に向かって投げつけた。 それは最初に渡すときのような緩やかな放物線を描くわけではなく、鋭く空を裂いて俺の頭へと見事命中してポトリと地面へと落下した。 「ゴミを投げるなよ」 落ちたパックの成れの果てを拾い上げて三郎に注意を促すと、彼は器用に片眉だけ吊り上げ「お前が変なことを言うからだ兵助」と唇を尖らせて、ほんのりと耳を赤く染めながらぼやいてみせた。 |
09/10/25