「セックスしよう」
「駄目だ」

 窓の外は真っ暗闇。俺にとっては暗闇だけれど、きっと目の前のココにしてみれば眩しいほどの星光に照らされて昼間のように明るい世界が広がっているかもしれない。
 恋仲と言える関係の俺とココ。俺はココのことが大好きだ。だから風呂からあがってホクホクと湯気を立ち登らせながら、火照った体を惜しみなく曝しているココを見てムラムラとしないわけがなかった。
 そんな訳で、隙だらけのココの腕を引っ掴んでソファの上へと押し倒し冒頭に戻る。
 ココからは良い匂いがする。香りだけで涎が際限なく垂れ流されそうなほどだ。そんな餌を目の前にして主人の残酷なまでの『待て』と言う言葉を頑なに守る腹ぺこの犬のような状態で俺は押し倒したココの体の上に圧し掛かっているわけだが、コンマ一秒の間すら置かずにスッパリと言い切られた拒絶の言葉に俺は一瞬脳みそを止めてしまうほど動揺したのだった。

「…なんで」
「僕が毒人間だからよトリコ。言わなくともわかるだろう」
「わかんねぇよ」

 唇を尖らせて不貞腐れたままぼやくと、俺の影に覆われているココが呆れた様子で重々しい溜息を吐いた。まるで出来の悪い生徒に手を焼く先生のようだ。
 ―そうだとすると、俺は出来の悪い生徒なのか。
 そんな出来の悪い生徒(仮)の俺に向かってココは本当に先生のようにして「いいかトリコ」と叱るようにして俺を見上げた。

「身体を繋げるということは直接僕の粘膜に触れることだろ。たとえ毒化していなくとも、僕の毒に感染してしまう危険性は充分にありうる。トリコには自殺願望があったのかい?」

 ココは表情一つ変えずにスラスラと言葉を述べた。俺にとってはなんの意味も制約も持たない言葉だが、ココ本人にしてみればとても重要で大切なことなんだろう。彼の声音に含まれる感情の厚みがそれを暗に示していた。
 しかし、俺には納得が出来ない。どうやら顔にもそれが出ていたようで、呆れた様子のココが「なんなら具体的な感染する可能性の確率を数字で表してやろうか」と嘲笑染みた笑みを滲ませて俺を下から見つめている。

「毒なんて、関係ないだろう」
「なんで」
「俺、ココのことが大好きだしココも俺のこと好きだろ」

 言葉にするだけで心臓がドクン、と大きく脈打って全身がホクホクと温まる。
 ほら、やっぱり俺はココのことが大好きなんだ。
 だからココのことが食べたくてしょうがないんだ。

「な?問題ないだろ」

 唖然としたココに二ッカリと歯を見せ大きく笑ってやる。
 ココはしばらく黙っていたが、やはりまた大きな大きなため息をわずかに開いた唇の合間から零してみせた。

「いいや大ありだ。このおバカちゃんめ」
「アイタ」

 ブラリと放られていたココの右手が動いて、ココの言葉と一緒にデコピンが繰り出された。
 見事に俺の額にヒットしたココの必殺技。ちなみに、以前ココがデコピンで大きな岩を砕いていたのを目撃したことがある。そんなココの必殺デコピンがヒットしたのだ、物凄く痛い。痛すぎて思わずココの上から退いて、床の上を額を押さえながら転がりまわった。

「いいかトリコ。セックスは無しだ。僕たちの間にその行為だけはありえない」

 床と大変仲良くしている俺をココが覗き込んで言い放った。
 先ほどとは逆転して、俺をココの影が覆い尽くしている。灯りを背負ったココの顔はよく見えない、が、彼は笑っても怒っても泣いても寂しがっても喜んでもいない、ただひしひしと呆れている雰囲気だけが空気中に漂うココのにおいから感じられた。

「マジで言ってんのかココ」
「大真面目だよトリコ」

 嘘を言っている声じゃない。
 嘘をついている顔じゃない。
 嘘を作っている目じゃない。

「ココは……俺とセックスしないでもいいのか」
「平気だよ」

 容赦のない言葉。ココは正真正銘そう思ってる。あっさりと言いきった声音と先ほどからずっと彼の顔に浮かんでいる呆れの色がそれを裏付けている。そんな確証ほしくねぇ!と喚き立てたい気分だ。なんだか泣きたくなってきた。

「第一、セックスという行為なんてしなくても死にやしないしね」
「俺は死ぬ、ココ不足で死ぬ。ココの愛が不足してる!」

 床の上に胡坐をかいて此方を見下ろして腕を組んでいるココに必死な主張をするが、ココが心を揺さぶられた様子など一切見せずにフフ、と軽い笑みを綻ばせながら

「人間そう簡単に死なないよ。お前みたいな規格外の輩は特に、ね」

 にっこりと、艶やかな微笑でココが俺を見ながら笑った。
 その笑顔に絆されそうになる、がいやいやいやっと首を振る。ここで引き下がったらきっと一生ココとセックスすることなんて出来ないだろう。
 俺は決意を固めて飛び起きる。
 此方の突然の跳躍に驚いたココの目が大きく見開かれている。深緑の瞳に自身の姿が映るのを見て、ココが俺を見てくれているっと喜ばしい気持ちになりながら、再度ココを押し倒そうと彼へと手を伸ばした――が、

「聞き分けのない子にはお仕置きだよトリコ」

 先ほどと同じく、にっこりと笑ってココは言った。
 艶やかで喉の鳴るような綺麗な微笑だ。
 しかし、先ほどと違っているのはココが毒で全身を染め上げていることだろう。
 俺は息を呑む。ココは笑顔。
 嗚呼、やばいかも。
 ――なんて考えていたら四肢に力が入らなくなり、受け身を取ることすらできずに俺は無様に床の上へ倒れ込んでしまい、冷たい床へとあつい接吻を交わすことになった。



WAIT!

090419