「あ、ココさん血が」 包丁の刃に掠ったのだろう、室内に籠っているおかげで日に殆ど焼けていない白い肌に、赤く血の滲む傷口に気づいた小松が慌てた様子で傷の具合を見ようと患部へ手を伸ばした。小松の浮かべる表情から容易に小松が怪我の具合を心配していることは明白で、何より小松の人柄のよさも理解し彼が純粋に気遣ってくれていることは理解している。 ただそう言った感情とは裏腹に――否、理解しているからこそココは小松に対して害を為す事を良しとはせずに咄嗟に手が出てしまった。 常人の目では追い切れぬような速さでココの片側の手が、傷口へと伸ばされた腕を制止させるために動く。 突然手首を握られ自分の行動に歯止めをかけられた小松は驚愕し、小松持前の大きすぎるリアクションと共にでかい声をあげて、不要なほどに彼の驚きを大きく表して見せた。そのオーバーなリアクションが功を成したのか、反射的に行動を起こしていたココがハッと我に返り、彼の掌からしてみれば小さく細い小松の腕を即座に解放する。 「ごめんよ小松くん、大丈夫かい?」 ココは鮮麗な顔立ちを歪め、慌てた様子で彼自身が掴みあげていた小松の腕を診た。そこにはうっすらと赤くココの掌の跡が残っている、それほどまでにココの手には力が篭められていたということだろう。 「は、はい。大丈夫です…びっくりしただけで」 「すまなかったね」 心底申し訳なさそうに謝罪の言葉を口にしながらココはわずかに俯いた。 ココの顔に影が落ち、彼の双眸には陰りが射す。どこまでも冷たく底冷えするような温かみを帯びていないその面持ちに正面に居た小松は息を吸い込むことを忘れ生唾を静かに飲み込んだ。光など一粒も存在しないような影模様は、さながらココが深層で抱える闇を表しているかのようである。 「ボクの血は…例えば小松くんが捕獲レベルの高い猛獣の毒にあたってしまったとしても、この一滴に抗体を濃縮させて小松くんの命を救う血清にすることもできる―」 自嘲のように見てとれる軽い笑みを零しながらココは血の滲む指先を眺めながらポタリ、と傷口から一滴の赤い滴を地面へと落としていった。 一滴、また一滴。宙に身を躍らせて、世界の法則により星の中央に引き寄せられる赤い雫を小松は言葉なく見つめた。ココの指先から滴り落ちて行った赤が3,4粒目になったころ、地面にできた小さな血痕に沿って地表が酸でもかけられた様にその身をすり削るようにして溶けて行き、驚きに目を見開く。 驚き慄く小松を脇目にココはそのさまを強かに見つめ淡々と言葉の続きを紡いでいく。 「一方で、この世に血清など存在しない猛毒として君の命を容易に奪うこともできる」 ココが放つ言の葉がひらりひらりと世界に揺らめきながら零れ落ちていくのと同じように、彼の指先からもゆっくりだが赤い滴が音の後を追うようにしてぽたりぽたりと零れ落ちてゆき、赤い血溜まりが少しずつ大きくなりながら、シュワシュワと土を溶かす音を小さく響かせた。 「だからあまりボクには触らない方がいい…特に、血液や汗と言った体液は要注意だ」 そこまで言葉にしたところで、ココは自身の指先から零れ落ちて行った赤から視線を上げて彼をじっと見つめていた小松にニッコリと笑って見せた。 「たとえ小松くんが貧弱なわりに、怪物みたいなトリコの後にひっついてついて危険区域に進んで行くような命知らずの馬鹿でもボクの毒の危険性はわかるだろう?」 ふふ、と笑いながら悪びれもなく言い放ったココに小松は数秒、思考をとめて静止するが、すぐに内心で(凄い言い様です、ココさん)と苦笑を滲ませながら汗を流した。 ココはさして何事も無かったかのような面持ちで、怪我をしていた個所を撫でると不思議なことに血が流れ出ていたココの傷は、先ほどまでの出血を思わせないほど大人しくなりまるでそこには最初から傷など無かったと言わんばかりだった。 ココは血液の血小板に働きかけて出血を止めたのだが、そうとは知らない小松から見ればココはまるで魔法使いのようだった。 そんな魔法を目の辺りにして呆けていた小松だが、そこからしばし先ほどのココの発言の中身について頭を捻り始める。 「大丈夫です」 うんうんと頭を唸らせて小松が出した答えはそれだった。小松の言葉にココが不思議そうな顔をする。言葉の意味がココには明確に伝わっていないようだった。 「例え毒に侵されても、ココさんはボクを助けてくれるでしょう。ボク、ココさんのこと怖くないですよ!」 どこか自信たっぷりに胸を張り言い放つ小松に、ココは目を丸めてきょとんとしたが、少しすると俯いてしまった。小松はそんなココの反応に慌てたようだったが、ココは直ぐに押し殺せないとばかりにくぐもった笑い声を放ち腹を抱え目尻にうっすらと透明な涙を浮かべてみせた。 「小松くんは可笑しい人だ…!いや、良い人だと言った方がいいかな」 腹を抱えて外聞など気にする素振りもなく大きく笑うココの姿に最初こそは戸惑っていた小松だったが、何に笑われているかも分からないのに自分も可笑しくなってきたらしく気づけば辺りにはココと小松の愉快そうな笑い声が響き渡っていた。 しばらく二人はなんとなしに笑い声を上げていたが、徐々に笑みを沈めさせてココが息を大きく吸い込みゆっくり吐き出しながら「小松くん」と笑い声を上げていたもう一人の小松の名前を呼んだ。 「はい、なんですか?」 先ほどまで笑っていた余韻か、小松の顔には笑みが滲み浮かんでいた。 そんな小松を眺めながらココは綻ぶように顔を緩ませ 「ありがとう」 優しい顔をしてそう言った。 もしも、この場に居ないココの旧知の友であるトリコが今のココを見たのならば、恐らく極上の肉へ食らいつく寸前でもその動作を止めて唖然としたに違いない。 それほどまでにココが浮かべる慈愛に満ちた微笑などめったにお目にかかれないものだった。 そんなことなど知らぬ小松は、ココが浮かべた表情に何かしら察した様子で、しかし何も言うことはせずにココとはまた違った満点の笑みで「いいえ」と返事をかえした。 |
それでも貴方は、