毒の味、夢の味、絶望の味、
希望の味、命の味
名も知らぬチェインアニマルが己が身を蝕む毒に暴れまわり、彼を中心に破壊の限りを尽くされた惨状が広がっていた。檻に入れられた他の凶暴な動物たちが、彼の狂気にあてられて凶悪な色を瞳に浮かべ騒ぎ立てている。 中には目標のチェインアニマルの暴動で壊れた檻から抜け出た奴もいる。辺りは殺気と血のにおいで騒然として、未だ救助されていない人間の苦しそうなうめき声がその中をか細く這いずりまわっていた。 どうしたものかと、考える。彼ら人間を助けるべきか、それとも囚われ金と欲望のためだけに飼われている怪物の彼らの狂気を見逃すべきか。 そう言えば、考えるという行為をしたことも久しぶりであることに気づく。あの白く異常なまでに清潔な檻では只管に命を紡ぐ行為として呼吸食事睡眠を繰り返すだけで、それ以外の行為などあの部屋の中では無意味なのだ。まるで人ではなく、人形ではないか。と自嘲の笑みを滲ませ顔を歪める。 しかし、それでも己は人間だ。そう信じたい、だからこそボクは怪物の狂気を見過ごすわけもなく、まだ生きて恐怖に青ざめ逃げそびれた人間を助けることをした。 そっと瞼を閉じて静かに大きく息を吸い込み己が深淵に意識の芯を置き身体に潜む毒の分泌を始める。肌で感じる空気が変わったことを感じ音もなく目を開ける。衣服に隠れ見えないが、己の肌が毒化しているのがわかる。コントロールは出来ている。安心するも気を緩めるわけにはいかない。ゆっくりと視線を持ち上げればその場にいる怪物の目が全て此方を向いていた。 その目には警戒と恐れと怯えが見える。牙と爪を持ち獰猛な奴らをそうさせてしまう自分の力を改めて認識させられて、自ずと心に影が落ちる。 しかし、ショックを受けて項垂れているわけにもいかない。自分には課せられた仕事がある。 視界の中央に、問題のチェインアニマルを見据える。彼は狂乱した瞳の中に動物としての本能的な色合いを帯びてボクを見ていた。 目があってどのくらいの時間が過ぎたか、ボクは微動だにしない彼に向ってそっと足を進め始める。 徐々に距離が近づくと、彼は大きく口を開き覗く鋭い犬歯から涎を垂らし全身で威嚇を始めた。それでもボクの足は止まらない。 迫りくる拳を避けて、赤黒い血で染まる腹部の傷に遠慮なく拳で殴り込む。 柔らかな臓器の感触が拳に伝わり、暖かで滑らかなその感触に一瞬顔を顰めるがそのまま腕を振りぬいた。 拳に付着した血液を舐めとり舌の上に少年の血中に含まれている毒素を吟味する。 瞬時に毒の解析と、それに対する抗体を生産。準備が整い即座に、痛みに動きが鈍くなっているチェインアニマルの口元を覆うように、彼の血で汚れていない方の掌を突きだす。 時間との勝負だった。チェインアニマルが再び暴れだす前に体内で生産した抗体を手のひらから分泌する。気化しチェインアニマルの口内へと侵入したそれは体内温度で再び液体に戻るはずだ。 青味のかかった黒い瞳がボクを見つめる。獰猛なチェインアニマルは静かに此方をまるで見定めるように、捕食者の面持ちでボクを見ている。 そんな彼と見つめ合うこと数秒、口元を覆っているチェインアニマルの瞳孔が開く。我に返ったのか、目にもとまらぬ動きで奴の手が此方の腕を振り払った。 咄嗟に自分から手を引いたからまだいいものの、怪力のせいで腕はじんじんと痛みを上げる。 我武者羅に地面に向かって唾を吐き捨てるチェインアニマルを良すぎる視力を持つ双眸で観察する。どうやら体内の毒はボクが生産した抗体で打ち消されたようだった。 これで自分の役割は終えた―これ以上ここに居る必要もないだろう、後ろを振り返ればここまで先頭を切って道を案内してきたロボットがチカチカと目を光らせて自分を呼んでいた。用が終われば早急にあの部屋に戻される。自分の危険性を考えれば当然のことだが、これではまるで―― 「道具みたいだな……」 言葉にして見るとそれはまさにその通りだ。自虐的な笑みでも浮かべようかと思いもしたが、うまく作れなかった。微妙に歪んだ笑みのままチェインアニマルに背を向けてきた道を戻り始める。 例え、人間を救おうとチェインアニマルを助けようと毒人間の己など、道具でさえもなりきれることは無いだろう。 「ま、待てッ」 喉を傷めたような声音が天井を四方の壁を突き刺すように轟き上がった。 けれど、ボクがそれに足を止めることはなかった。 立ち止まり振り返ったところで、それがいったい何になると言うのだろうか。 ボクは決められた道を戻り、定められた部屋に座り、定時に食事を取って、あとは眠るだけ。そしてまた数々の毒と向き合い生きているのか死んでいるのかも分からぬ日々を淡々と過ごすだけなのだから。 |