電話が鳴る
それは大抵沈黙しているので、部屋に響いた電子音に周りの部下達がびくりと顔をあげこちらを見た
珍しいことがあるものだ、と思っているのは自分だけではないようで興味津々と言った様子の瞳がこちらをちらちらと伺っている
何も言わず一つのボタンを押してそれを耳に押し当てると、これも意外な人物の声がそこから聞こえてきた
電話の向こうの男はこちらが口を開く前に、珍しく焦った様子でしかし落ち着いたように振舞った口調で用件を告げた
一方的に喋り、短く済んだ言葉の流れが頭の中でぐるりと回転した
気づけば上着だけ持って外に飛び出していた。後ろからは一人だけ付き合いの長い部下が静かに付き添ってきていたが、帰れっと命令を下す時間さえ惜しまれそのまま自家用のジェットへに乗り込み部下に行き先を告げ、瞼を閉じた
どうか、間に合いますように。そんな柄でもなく弱い心で居もしない神に祈りを捧げた
自分はボンゴレファミリーの雲の守護者である雲雀恭弥の一番古株の部下である。
彼はある電話を受けてからそれまで行っていた書類の仕事を突然放り出して外へ向かった。
長い付き合いであるが、自分は今までこれほどまでに目的地へと急ぐこの人を見たことが無かった。言うならば、そう彼はとても急ぎ焦っている様子に見えた
酷い雨の夜。目の前には大きな門が構える壮大な敷地
辿りついたのは、敵対するマフィアの重要な要所であるアジトのひとつだった
普段ならば、このような場所少数では来たりしない。来るとしてもボンゴレの精鋭部隊だ。たとえ守護者の一人だとしても、普段ならばこのような行動は起こさない
しかし、重要な要所であるはずなのに守りをしている者が居ない。それを知っているかのように雲雀さんは黒い傘を片手に早足で道を進む
暗闇の中、軽く視線を彷徨わせて見ると雨の臭いの中から僅かに、どこからか血の臭いがした
そちらのほうを注意深く凝視してみると、そこに動くことの無い人間の残骸が無残にも雨に打たれながら転がっている。息を呑んで前を見た、雲雀さんの背中がとても小さくなっていることに気づき慌てて駆け出す。
暫く歩くと、どこかで爆発するような音が轟いた
分厚い雲に覆われた夜の空を真っ赤な炎の色が染め上げた。立ち上る煙。裂くような雨。どこかで発砲音が連続で鳴り響く
途端に、目の前を歩いていた彼が傘を放りだして駆け出した。突然のことながらも、それに対処して駆け出す。彼は足が速い、全速力で走るのなら自分と彼の差は雲泥で、自然と間が開ける。
雲雀さんが足を止めた。まったく呼吸が乱れた様子は無い。そんな彼を自分の傘の下に入れて彼の見る光景に目を向けた。
開けた場所は丁度炎の立ち上る屋敷の前。多くの人が塵屑のような姿で辺りに散っている。パンパンと発砲音のする方を見れば、そこにはまだ生きた人間が数人だけ息をしていた
「あれは・・・」
燃え上がる屋敷を背景にひとつの首が宙を舞った
ごろりと転がるそれに目もくれず、響く銃声と降り注ぐ矢のような雨の中一人の侍がそこに居た
山本武。ボンゴレファミリーの雨の守護者。そして雲雀さんにとっての特別
彼に関して雲雀さんが起こす行動は自分の雲雀恭弥の認識を覆すものである。だから今夜の彼の行動に合点がついた
しかし、今山本武という男が分からなくなった
彼は誰にでも笑みを向け気さくな男でボスである沢田からも信頼されている。ある種一般人にある甘さの抜けない男だと、あんな男に守護者が務まるのかと影で囁かれるほど優しい人間だった
だが、今目の前で行われている残虐な光景の主人公は彼だ
彼は光の無い目で躊躇無く人を斬殺していった。時には傷口を抉るように刀を引いて、致命傷の傷を残しながらも留めはささず雨に打たれて衰弱死させる。
最後の一人、命令を飛ばしていた男の肩に刀を突き刺す。雨音と炎の燃え上がる音の間を裂いて男の悲痛な叫び声が上がった
「・・・っ」
雨の降り注ぐ音と、衰えることの無い炎、むせ返るような血肉の臭い
一人佇む死神のような男には、雨を名乗る優しき男の面影は無い
山本武は男を冷たく見下ろし何か言葉を吐いた。ここまでは聞こえなかったけれど、彼にはとても重要なことだったらしい。うめき声しか上げない男に苛立ちを隠さず男の肩に刀を突き刺したまま柄を握り刃を回転させた
そうして再び唇を動かす。男は血を流しながら何か言葉を吐いた
男の返答が気に入らなかったのか、彼は男の腕を切り落とした。悲痛なうめき声が雨音の間から自分達の場所まで届いた。それでも山本武は動きを止めず、何か言葉を吐き出しながら男の身体を刻んでゆく
耳が削がれ、指を一本ずつ切り落とされて、そして肩から切断、何度も身体を突き刺しては溢れ出す血の涙
「ひ・・、雲雀さん」
傘の中から彼は刺す様な雨へ足を踏み出した
未だに死んでしまっている男を無常に切り刻む山本の間合いに入る一歩手前で彼は足を止めた
きっと、あの近さならば死んだ男の悲惨な姿も死の香りも山本の表情も伺えるだろう
「もう、死んでるよ」
雨の静かで五月蝿い音にも負けないぐらいに低く響いた雲雀さんの声
離れている自分の耳には正確にその言葉が届いた
しかし、山本の耳には届いていないらしく彼は無心に死体の肉を刻んでいた。その様子に雲雀さんが無言で近づく、その手にトンファーを握って
静かに唾を飲み込んだ。山本が雲雀さんに気づいた、彼の光を灯さない沈んだ瞳が此方に向けられた。瞬間彼の握る刀が動き、地面に溜まった水しぶきが刃となって雲雀さんに向かっていく。予想範囲内だったのか、彼は容易くその飛沫の刃を避けて山本武へトンファーを掲げて近づいた
息をするのも忘れて二人を見る。初めて見る光景だった
雨の守護者と雲の守護者の二人が戦うなんて
喧嘩をしたとしても、二人は乱闘騒ぎにはならない。かみ合ってないようであの二人は実に精密な関係を築き上げているからだ
互いに一歩も譲らない状態に変化が生じた。雲雀さんが山本の刀を素手で掴み動きを止めた。そして小さな声で何か呟く。こちらには雨の音に遮られ届かなかった
瞬間、山本の瞳に小さく光が灯る
「ひばり」
と山本の口が動いた
そのまま力なく彼はその場に崩れ落ちた
膝を雨水と血の交じり合った地面につけて、唇を動かして何か言葉を吐き出す
雲雀さんも、片足を地面につけて山本の身体を抱き寄せた
先ほどまでの切り裂くような雰囲気は一変し、壊れてしまったような山本は静かに雲雀さんに抱きついてその肩に顔を沈めた
彼が泣いているのだ。
となんとなく理解でき、そっとその場に背を向けて歩き出した
泣声も嗚咽も、何もかも雨の音に攫われて自分の耳には届かなかった
080403再録