ジリジリと肌が焼かれる。久方ぶりの感覚だ。イタリアでは日本の夏の暑さを感じることは出来ない。額を流れていく汗の感触を感じながら、腕を空に翳しその影から蒼天に浮かぶ太陽を見上げた。太陽はその表情さえ此方にうかがわせることなく、爛々と輝きを増して俺を見下ろしていた。
暫くその茹だれる暑さに無言で足を進めていたが、ふと、視線を落としていた道の先にひとつ障害物を発見した。
「セミだ。」
誰にいったわけでもなく、ぽつりと落ちた言葉。
道の中央、俺の目の前にセミが一匹落ちている。死んでいるのか生きているのかさえもわからない。だって奴は微動だにせず息を殺してその場に沈んでいたから。
セミと言う生き物は、すぐに死んでしまう。否、土の中で長く生きているからすぐに死ぬという表現は可笑しいことなのかもしれない。しかし、彼らが俺達人間の耳に、記憶に、目に、心に残るのは一週間だけなのだから、すぐに死んでしまうと言っても過言では無いだろう。
「生きてるのか、死んでいるのか……お前はどっちだ?」
そう呟いて、好奇心に促されるまま膝を折る。ゆっくりと、動かないセミへ指先を伸ばす。
生きてる?死んでる?そう心の中で尋ねながら、ちょんっとセミの羽を突っついた。
「わっ!」
生きていた。彼は生きていたのだ。
指先が彼に触れた瞬間、先程までの死に絶えた様子はどこへいったのか、彼は忙しく地面を這いずり回りながらジィージィーと声を上げる。まるで手を伸ばした俺を全力で拒否しているようだった。
暫くすると、セミは再び沈黙に沈む。俺の心臓は突然の出来事にバクバクと忙しく動き回っていた。
「びっくりしたぁ……」
本心からの言葉を吐くと、自然と笑みが零れた。
動かなくなったセミを一瞥し立ち上がる。一歩、二歩、と歩みを再開させれば真っ黒な革靴が太陽の光を受け流して鈍く輝いた。
「まるで、君のようだね。」
「なにが?」
「さっきのセミ。」
その言葉にピタリと、足が止まった。真っ黒の革靴は変わらずテラテラと輝いている。そんな上辺の輝きを見下ろしていた視線を持ち上げて、ゆっくりと言葉の主へ目線を向けた。
彼は無表情で立っている。彼の瞳もまた黒く、そこに俺の姿がぼんやりと映っていた。
「生きてるのか死んでるのかわからない。」
彼はそう呟いて、薄い笑みを浮かべると踵を返し今来た道を戻った。
ぼんやりと彼の行動を眺めていると、彼は先程のセミが足元に転がるほどの距離まで進み、男の気配に気づいたのか再び声をあげ暴れ始めたセミを鋭い瞳で一瞥すると、彼はくしゃりと音を立て俺と同じ真っ黒な革靴の底でひとつの命を奪った。
「君にそっくりだと思わない?山本武。」
驚いた。
彼の行動にもだけど、彼の言葉にもだけど。
なにより、俺の心に響いたのは、彼が俺と同じ事を考えていた事に驚いた。
俺は、先程のセミを見て自分の姿を重ねた。地面に這い蹲って、生きているのか死んでいるかもわからない、時折生の限りに見っとも無く足掻き、すぐに諦めて死を迎え入れる。
滑稽なセミの姿はまさしく俺だった。
「と言うことは、つまり雲雀は俺を靴で踏みつけて殺しちまうわけ?」
「それが君のお望みならば踏み殺してあげるよ。」
こちらの軽口に彼は本気なのか冗談なのか判断のつかない返事をする。
釣りあがった眼と口の端を見れば、恐らく冗談ではなく本気だと言う事が推測されて、俺は大人しく降参と言うように両手を挙げて「遠慮します。」と笑った。
雲雀は、最初から興味が無かった様子で素っ気無く「そう。」と言葉を返すと、俺の隣を横切ってさっさとひとり道を進み始めているではないか。
俺は慌てて彼の隣に駆け寄って、俺がセミと遭遇する前までと同じようにニコニコと笑みを浮かべて彼の隣を真っ黒な革靴で歩いた。
セミの命と僕の命
080820