どこからか水が滴り、崩れ落ちた建物の断片に跳ねる音が僅かに響く廃墟
一人の青年が苦しそうな息遣いをして、その口から零れる吐息は熱を佩びないコンクリートの上に乾いて落ちた
青年の名前は山本武。数日前にこの場所で死闘を決し勝者の指輪を手に入れた雨の守護者
彼はこの作られた死と瀬戸際の舞台にある一つの可能性を見出し、望みなどほんの欠片もないその可能性にかけて、その廃墟の中で乱れた息を潜め待っていた
それまで、静寂に似た空間であった廃墟に足音が高く軽く響き渡った
山本は近くに聳え立つポールを見上げる。その上にはちっぽけな指輪が一つ置いてあるだけだ
しかし、それでも。
その指輪だけが唯一の望みでもある
もしかしたら、奪いに来るかもしれない。あの銀の長髪を揺らしながら、歪んだ嘲笑を浮かべてアイツが
それが山本がこの場所で無様に寝転んでいる理由でもあり、一筋の希望でもあった
しかし、先ほどから近づいてくる足音。あの軽さとリズム。それを山本はよく知っていた。しかし望みは捨てられず、ただジッとその場で地面に耳をつけ身体の中で暴れまわる熱と痛みに耐えていた
足音が直ぐ傍に来てピタリと止まる
伏せていた目蓋をあげて、狭い視界で彼を見た
やはり、そこにいたのは黒髪の
「ひば、り」
苦しげな呼吸の合間を縫って山本は彼を見下ろす少年の名前を舌の上にのせた
しかし、山本はここで小さな過ちを犯していた
彼は意識せずその表情に落胆の色をほんの一瞬だけ浮かべ、虚空を見ていた。そしてそれを傍らの少年に気づかれたこと
少年は名前を呼ばれたことには何の反応もせず、凍った炎でも宿したような瞳で山本を見下ろしていた
「何、その顔」
「・・・え」
「イラつく」
そう言った少年は赤く染まった身体でフラフラと山本の傍に片膝をついて、毒で動けない彼の喉元にその手に握っていたトンファーを突きつけ彼の呼吸を押しつぶす
山本は苦しさに顔を顰め、口を僅かに開くが言葉は出ない
「何、考えてたの」
言え。と暗に言いながら彼はトンファーを露に成った喉に少しだけ食い込ませた
山本はくしゃりと壊れた笑みを浮かべて、困ったように笑う
「生きてたら・・・指輪を取りに、来るかな・・・って」
ボソボソと荒れた呼吸の合間合間に言葉を紡ぎ、笑みを浮かべて彼は少年を見上げていた
少年はその言葉を受けても、なんら変わりはない。否、ほんの一瞬だけ彼の顔は歪んで直ぐにまた無表情に戻っていた
「アイツを待ってたんだ。だから動けるのに動かないで無様に転がってたんだね」
そう言って彼は聳え立つポールを睨みつけ、持っていたトンファーをそれに食い込ませた
彼の中に生まれた激情を静かにトンファーはポールにぶつけ、そして轟音と共にポールは地面へと倒れた
山本はそんな少年の背中を見つつ、心の中で漸く自分のしでかしたミスに気づき、そして後悔していた。少年との付き合いがそれなりに長く、そしてなんともいえない関係だからこそ、山本は彼の心中を察して焦っていた
(怒ってるんだろうな)
ゆっくりと上半身を起こして、壁に背を預ける
確かに彼が言ったとおり自分は動こうと思えば動けた
しかし、行動は起こさずただ地面に伏して毒が身体を駆け巡るのを甘んじて受け入れていたのだ
理由は、先ほど彼に言ったとおり
もしかしたら前の戦闘で戦ったサメに食われたと思われる男が姿を現すかもしれない、という小さな小さな希望にかけてのことだった
(怒ってるよな、雲雀・・・)
地面に転がった指輪を拾い上げて、彼が此方に歩み寄ってくる
それを毒に犯された視界で見つめた
彼は笑っていないし、自分も笑っていない
「迎えに来たのが僕で残念だったね」
そう言って雲雀は壁に手をついて、山本の視線に合わせるよう屈み込んだ
その顔は微笑を浮かべてはいるが、笑ってはいない。片目の狭い視界で山本は雲雀の二つの眼の奥に潜む感情を読み取って困ったように笑った
「そんなこと、ねぇよ。俺、雲雀は俺の所に来るって・・・確信、してたし」
山本は言いながら毒の支配する身体で雲雀に笑いかける
彼はそんな山本を鼻で笑い、ゆっくりと近づき
「胡散臭い台詞だね」
呟いた折に雲雀の吐息が山本の唇をなぞり、そのまま二つの唇は重なり
そして雲雀は山本の指にそっと薄汚れた指輪をはめた
淡い確信
080403再録