一本の電話がかかってきた
ちょうど、その日は酷い雨で夜の闇は何もかも飲み込みそうなほど深く、死に絶えたように静寂だった
そんな中静かに響くベルの音に寝起きの覚醒しきっていない頭で枕元にあるはずの電話に手を伸ばす
寝起きを隠そうともせず不機嫌な声で出ると、思いもしなかった人物からの電話であった
用件はこうだ
「今すぐ家に来てくれ」
丁度その夜は日本にある隠れアジトで惰眠を貪っていた
マフィア間での闘争が激しくなるにつれ、自分の肩入れしている彼らの怪我が絶えなくなってきたという理由もある
なので「怪我でもしたのか?」と聞くと彼は無言で否定した
ある程度予想していた答えであった。彼は自分に診てもらおうとはしない
詳しく言うと彼は自分に診られる機会が無い。彼は怪我をするときは酷い怪我をして現地の医者に頼る。怪我をしないときは全くしない。極端すぎた
ただ、医者の直観か、闇に居座るものの鼻が利いたか、彼が普段と違うということだけは電話越しでさえ気がついた
「おい、どうした」
「・・・・やられた」
「?」
「大量の血の中から一人の人間の血液って鑑定できるんだろ?」
「おい、何の話だ」
「頼む、なるべく早く家に来てくれ」
彼の声は落ち着いていた
それが、自分に恐怖を与える
「わかった」と短く答えると受話器の向こうで電話が切れた
乱暴に受話器を戻し必要な道具を鞄に詰め込んで扉を壊す勢いで開き飛び出した
車に乗り込んでキーを回す。暗闇に車のライトがパッと光った
外は酷い雨だった
車から飛び出し視線を彷徨わすと、ろくに辺りも見渡せないほどの雨の中でぼんやりと戸口の前で突っ立っている掠れた彼の姿を見つけた
声をかけず彼に近づく。ちょうど、家の正面。彼の父親が営む寿司屋の入り口の前に彼は立っていた
扉は開け放たれている。そこへ彼は微動せず室内に視線を投げていた
店の中は暗かった。電気もつけず、そこに人は居ない様子だ
微かに鼻にある臭いが突いた。とても、自分に馴染みのある臭いだ
嫌な予感が形を成して眼前に突きつけられた気分であった。それでも僅かな願いをこめて彼の隣を横切り店の中へ入る。寿司屋には全く関わりの無いはずの異臭は更に濃いものとなり、部屋の中に充満されていた
パチンという音と共に部屋に灯りがともる。後ろの彼が我が家の電気をつけただけだ。たったそれだけで異様な室内の光景が露になった
「っ・・・これは」
「帰ったら・・・もう」
「・・・父親の姿は?」
「見つからない。血以外は何も残ってなかった。だから、・・・あんたに頼んだんだシャマル」
振り返ると、扉の向こうに濃い暗闇と刺すような雨を背負った彼がいた
全身雨に濡れて、足元には既に水溜りが出来ていた
ただ、静かにその両目には凍えるような炎を揺らして立っている
そんな彼の側面の壁、扉の横の壁、彼の足元の床、そして自分の足元の床も周りの壁も、店のカウンターも
どこを見ても血に染まり赤黒い模様を描き出していた
どう見ても、一人分の血液ではない。恐らく複数の人間がここで血を流し死んだ
ただ、それを立証する死体が無い。彼が片付けたのかと思えば、彼はそうではないと言う
「お前さんの父親の血液サンプルがあると楽なんだが」
「俺の血でどうにかしてくれ」
そういって彼が此方に近づき、袖を巻く利上げ腕を差し出した
鍛え上げられたその腕にはしっかりとした筋肉がついており、余分なものはなくスラリとある種の芸術品のようであった
そこに一匹の蚊を止まらせて太らせる。その間彼の表情を伺っていたが、何も読めなかった。それが自分を更に恐怖を抱かせる
「数日掛かるが・・・なるべく早く済ませる」
「頼む。報酬は後で好きなだけふっかけてくれ」
そう言った彼は此方に背を向けて再び闇の中へ足を踏み入れた
光を受けた背中に降り注ぐ雨が弾かれていく
異臭の中でポケットに手を突っ込んだ自分は、気づけば彼へ言葉を投げていた
「山本、どこに行く?」
「・・・」
「ツナ達にこの事は?」
「まだ、連絡してない」
彼はそうポツリと言った
理由の真なるところは自分にはわからない
恐らく彼もまだ、認めていないのだろう。彼の父親の死を
だからこそ、自分をここに呼んで科学的な不確実ではない答えを欲している
自分は彼に良くも悪くも止めを刺すのかもしれない。再び彼に会うことがとても怖くなった
「気をつけて行って来いよ、山本。俺は男なんぞ診たかねぇから」
彼は既に歩き出していた
夜と闇に引かれた雨のカーテンの隙間に滑り込み、殆どその姿は闇に紛れている
ただ、自分の目には彼が片手を上げてこちらになにかしらの合図を送ったのだけは知覚できた
それが、了承の意であったのか、それとも別れの意であったのか、その時はわからなかった
次の日、自分の耳にある一つのニュースが飛び込んだ
嘗てボンゴレの上層部の人間が多く集まり、辛うじて落としたミルフィオーレファミリーの拠点がたった一人の人間に一夜も掛からず壊滅された
酷く雨の降っていた夜のことだった
ふと、脳裏に一人血の海で真っ赤な日本刀を提げた山本の姿が鮮明に思い浮かびあがる。その姿に何も言えず、ただ胸に哀愁が渦巻き、一人で涙を流しているであろう男にそっと想いを馳せた
080403再録