圧巻だった。
 彼の戦は芸術とも言える。雲の名を被る男の戦いぶりも中々の芸術だが、彼とは少し違った美が目の前の雨の男にはあった。後姿。雨に濡れた髪の毛が気力なさげに落ち込んでいる。男の手には雫の流れるぎらぎらとした日本刀。なんて時代錯誤な武器なのだろうか。
 しかし、彼の業と拳銃が早撃ちをしたのならば軍配は刀を使う時代錯誤の男に上がるだろう。彼は拳銃が弾き出す弾丸よりも早く軽やかにそれで居て耽美に人を斬る事が出来た。それを、芸術と呼ばずになんと呼ぼうか。
 だからこそ、悩んでいた。あの美は彼にしか作る事が出来ない。たとえ、彼を僕が支配しようともあの華美を再現することは無理だと、それだけは理解できた。
 迷いがぐるぐると僕の中を彷徨う。これはとても珍しく興が冷めることだ。何故己は彼を支配する事に躊躇しているのだろうか。彼の背中はがら空きだ。その背中をチョンと懐に忍ばせた小さなナイフで掠ればいい。それだけで済む話だ。とても、簡単で単純でつまらない作業をすればいいだけ。彼は此方を信用して背中を預けているのだから。
 考えがそこに辿り着きすぐさま僕は首を振る。否、彼は僕を信用などしていない。彼は僕だけでなく、どの守護者も、彼のボスである大空の守護者でさえもだ。
 ゆったりと、懐から人の尊厳を踏みにじるナイフを静かに取り出し手に握った。
 そうだ、だからこそ、僕は彼を彼でなくしてしまう事に逡巡しているのだ。

「霧って」

 男の声が翳む世界の向こう側から此方の鼓膜を揺らした。彼はまだ、こちらに背中を向けている。

「吸い込むと身体の中から冷やしてくれるよな」

 そう言って男は大きく両手を広げて深呼吸したようだった。霧が間に挟まっていて、彼の姿はぼんやりとしか認識できない。声はこんなにもはっきりと耳に届くのに、己の化身である霧は彼と僕から光の粒子を削ぎ取る。

「なぁ、お前は俺を冷やしてくれるのか?」
「どうして欲しいんですか」

 間を入れずに聞き返す。男は笑みを零しながら、肩を震わせた。
 ゆらゆら、と彼の周りの霧が揺れ動くのが僕の目には見えた。嘲笑しているような笑い声を押し殺そうとして、出来なくて、声が零れてしまっている。そんな感じだった。

「人を殺めると俺、やばいぐらい興奮して熱くなるんだ。熱くて熱くて、その熱で死んじまうんじゃないかって思うぐらい」

 ゆっくりと、こちらを向いて霧を間に挟み男と目が合った。漆黒の、瞳は霧に侵されることなくそこに堂々と存在して、しかし光は宿していないように僕には見受けられ、彼は本当に面白い人間だと再確認。思わず此方の笑みも深まるばかりだ。

「だから、俺を殺す熱をお前はどうにかしてくれるか」
「僕と殺し合いがしたいんですか?」

 僕は至極素直に、彼の要求に応えられる答えを提示した。すると、彼は愉快そうに顔を歪ませ声もなく微笑を浮かべる。彼がそっと唇を動かして、何か言葉を吐いた。しかし、ゆらゆらと霧が濃くなって深まって気づけば山本武の姿は霧に飲み込まれて見えなくなってしまった。
 彼が霧の中で囁いた言葉。静かにおぼろげな音の断片を掻き集め意思として組み立てる。そして僕は彼の心を聞いた。

「クハハ、ハハハハ」

 可笑しくて堪えきれず思わず声を上げて笑った。笑いすぎて喉が痛ませ、呼吸を疎かにしたが気になどならない。片手で顔を多い空を見上げ声を上げる。興に乗り、パチンと指を鳴らして世界を覆っていた霧をひとつのちっぽけな箱へと変換させる。コロリと小さな小さなボックスが足元に転がった。僕の足元ではなく、山本武の足元に。

「支配なんかしてあげませんよ」

 僕の後ろにいる彼にそう言った。彼の手は僕の右手の中に納まった、ちっぽけなナイフに伸ばされている。人の意思を身体を全てを乗っ取る非人道的な道具へと。
 僕は彼の手首を右手で捕まえた。そう、己の右手の剣へと伸ばされた山本の手を右手で捕まえた。ユラユラと、空気が揺れて彼がポツリと「幻か」と無気力に呟いた。その言葉がパチンと彼が手を伸ばしていた僕の右手、もとい、僕の姿を消し去った。
 山本の手首を掴む手先に力を込めて、己のほうへと彼の意識を向かせる。彼は特に何の感情も浮かべることなく此方を見た。

「君も、この世に絶望しながら生きるべきです」

 ゆらゆらと、揺れる漆黒の瞳。光がチカチカと映っている。もう、日光を遮っていた霧が無いからだ。

「貴方ひとりだけ、楽になんてしてあげませんよ?」

 掴んでいた手首を引いて、こちらによろめいた彼の顔に呪われた瞳が宿る自身の顔を近づける。視線が、グチャグチャに互いの短い距離で絡み合いそのまま山本武の唇をガリっと歯を立てて噛み付いてやった。
 山本武は嘆くわけでもなく、悲観するわけでもなく、怒るわけでもなく、喜ぶわけでもなく、笑うわけでもなく、涙するわけでもなく

「痛い」

 と、だけ呟いた。






The story of the two who were tired from living



080504