ツナたちは明日イタリアに発つ。
だけど俺は行かない。日本に残って甲子園の常連である高校に通って野球に専念するからだ。
ツナたちからこか寂しげな雰囲気を感じ取ってはいたけれど、俺にはプロ野球の夢があった。
その夢のために、なにもわからない振りをして悟って欲しいと雰囲気をかもし出す彼らに気づかない振りをして、大きな夢について大げさに子供のように語ってみせれば、彼らは嬉しそうな顔をして頷き相槌を打ってくれるが、俺が居なくなった途端に苦々しい表情を浮かべていたのも知っている。
マフィアの道も興味が無いわけではなかった。剣の道を極めることに渇望を抱いた時だってある(主に、長髪の剣士とやりあったときなど)。
だけど、夢はふたつも持てるほど器用な人間でもなかった。どちらかひとつを諦めなくてはいけない。幼い頃から夢見ていた野球選手か、友が必要とする修羅の道か。
結局諦めた友人の隣を、俺は未練がましく眺めているのだがそれも今日で終わりだろう。
ツナたちは遠い地へと旅立ち、俺はそれを見送らない。明日は大事な試合がある。
「本当に、来ないのか山本」
明日の準備をしている俺の部屋に来訪者。
小さい身体が通りに面した窓からひょっこりと現れる。ちなみに二階で家はよじ登れるような造りにはなっていないのだが、この子供はどうやってここまで来たのだろう。とぼんやり考え、今更この子供が俺の常識で測れるような存在ではないと思い出し苦笑を浮かべ彼を招き入れた。
そんな子供の彼から夜の挨拶の言葉と沈黙の後に出た台詞がこれだ。なんとなく、そんな予感はしたけれど。
夜のしなやかな静寂と相俟って彼の独特な雰囲気が俺の部屋の表情を一瞬で塗り替える。居心地の良い、住み慣れた場所のはずの部屋はどこか他人の物の様な空気を纏い俺たち2人を見下ろしている。
そんな部屋の中で、俺は小さな子供と向かい合い微笑を浮かべたまま静かに首を横に振って「俺はいかない」と言った。
「そうか」
「うん」
「けどな山本」
ざわりと空気が、肌が、言葉が、時が、呼吸が、身の毛を立たせ震え上がった。
普段の戯れとはまったく違う、少し前に彼と修行したあの時でさえも感じなかった殺気が目の前の小さな身体から迸った。
坊主が動いた刹那、俺はベッドの下に置いていた刀へと変貌するバッドに手を伸ばした。その動きは熱いものに手先が触れた時咄嗟に手を離す、あの反射さながらの動作で
「“血”には抗えない」
坊主の懐から出された拳銃が俺の心臓の上にあてられて、俺の握ったバットから刀へと変貌したそれの切っ先が坊主の喉元へ触れる。
一瞬の出来事だった。自分の反射が起こした行動に、意識が追いついたのは今しがた。そこで坊主の喉に突きつけられている鈍い光沢を放つ刃に目を見開いて、坊主が怪我をしてしまう――そう考えて剣先を退けようとした。
しかし身体は動かない。心臓の上に乗せられた黒光りする凶器の存在にか、俺の身体は凍り付いている。
坊主の喉に凶器は突きつけられたまま、少しでも間違えれば喉が裂かれ清血が飛び出してしまう。それは致命傷になりかねない、命を左右するものだ。それが自身の手の中にある。その事実は俺に酷く眩暈を催すようだが、どこか切迫した緊張感に大きく心臓が脈打って、いやおう無しに自覚する。
俺は心臓を躍らせてこの緊張感を楽しんでいた。
「殺し屋の血には、な」
そんなこちらの心情を察してか、拳銃を退かし子供が帽子のふちからチラリと微笑を見せた。
冷ややかな空気が開放されて、まるでパンっと乾いた音が弾いたような錯覚に陥り、そこで漸く全身から緊張が削げ落ちて糸が切れたかのように俺は傍らのベッドにもたれ掛った。
「冗談……やめてくれよ坊主」
死ぬかと思ったっとカラカラに乾いた笑みと同時に零せば、坊主もまた黒い帽子の下で含みのある笑みを滲ませながらぴょんっと飛び上がった。
先ほど入ってきた窓枠に立った小さな身体は、外から吹き込む風に帽子が飛ばされないように小さな手で帽子のふちを握りながらこちらを振り向いた。
「また来る」
真っ黒なスーツが闇夜に溶け込むように俺の目が錯視を起こしかけていると、坊主の子供特有の高い声が零れ落ち世界を緩やかに揺らしていく。
「何年経とうと俺が生きている限り、俺はお前に会いに来るぞ山本」
「……楽しみに待ってるぜリボーン」
告白めいた言葉の列に一瞬きょとんとしてみせるが、この小さな子供の前ではなにも取り繕うことも無い。
俺は普段のように無理な馬鹿笑いを浮かべるわけでもなく、小さく頬を緩ませて苦笑に似た微笑を零した。
「じゃあな、山本」
「元気でな、坊主」
手を上げて挨拶を返した途端小さな身体は闇夜に溶けこみ、開きっぱなしの窓から夜風が吹き込んで部屋の中で無造作に散らかされた野球の本や雑誌のページが勝手に捲られていった。
さようなら、またあいましょう
090203